松尾芭蕉の俳句は有名なものも多く、みなさん一度は耳にしたことがあるものもいくつかあるのではないでしょうか。
今回は、松尾芭蕉の俳句で有名な作品の一覧と、松尾芭蕉について、そして、「おくの細道」についてのポイントをお伝えします。
どうぞ最後までお読みくださいね。
[松尾芭蕉の俳句]有名な作品 一覧
松尾芭蕉の代表作を季節ごとに分けてご紹介します。
それぞれの句について、以下の項目で説明しています。
・俳句
・読み方
・季語
・意味
・私の感想
[松尾芭蕉の俳句]有名な作品 一覧「春」
古池や蛙飛び込む 水の音
- 読み方:ふるいけや かわずとびこむ みずのおと
- 季語:蛙
- 意味:古い池がそこにあるなぁ。蛙が飛び込んだ時の水の音が聞こえてくる。
- 感想:とても有名な一句ですね。「蛙が飛び込む」ところに注目することで、蛙がより生き生きと感じます。
花の雲鐘は上野か 浅草か
- 読み方:はなのくも かねはうえのか あさくさか
- 季語:花の雲
- 意味:桜の花がまるで雲のように咲き誇っている。聞こえてくる鐘の音は、上野の寛永寺のものだろうか、それとも、浅草の浅草寺のものだろうか。
- 感想:桜の花と鐘の音。春のうららかな一日の様子が鮮やかに切り取られていると思います。
行く春や 鳥啼き魚の 目は泪
- 読み方:ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ
- 季語:行く春
- 意味:春が過ぎてゆくなぁ。友と旅立ちの別れを惜しんでいる。鳥は鳴き、魚は目に涙を浮かべているようで、別れがますます悲しくなってくる。
- 感想:旅にでる芭蕉が、見送りにきてくれた友人と別れを惜しんでいる様子がよくわかります。鳥も、魚も別れを惜しんでいる様子から、その場にいたすべての人が別れを悲しんでいるのがわかりますね。
[松尾芭蕉の俳句]有名な作品 一覧「夏」
閑さや 岩にしみ入る蝉の声
- 読み方:しずけさや いわにしみいる せみのこえ
- 季語:蝉
- 意味:静かだなぁ。蝉の声が岩に吸い込まれていくようだ。
- 感想:この句は、静かな山寺で詠まれた句。騒々しい印象の蝉の鳴き声ですが、静かな山寺では、ただ、蝉の鳴き声が響き、周囲に吸い込まれていく感じがしますね。
夏草や 兵どもが 夢の跡
- 読み方:なつくさや つわものどもが ゆめのあと
- 季語:夏草
- 意味:夏草が一面に覆っているなぁ。かつて栄華をおさめた武士たちの夢もここでついえた。
- 感想:今ではただ夏草が生い茂るばかりの土地。しかし、その昔、名を成す武将が確かにここに存在したらしい。昔に思いを馳せる芭蕉の姿が目に浮かびますね。
五月雨を 降り残してや 光堂
- 読み方:さみだれを ふりのこしてや ひかりどう
- 季語:さみだれ
- 意味:長く降り続く雨は、様々なものを朽ちさせていく。その雨も、この金色堂にだけは降らなかったのだろうか。
- 感想:長雨により失われていくものが多い中、金色堂は必ずそこにあり続けることに感動した芭蕉の思いが伝わってきますね。
[松尾芭蕉の俳句]有名な作品 一覧「秋」
秋深き 隣は何を する人ぞ
- 読み方:あきふかき となりはなにを するひとぞ
- 季語:秋深き
- 意味:秋真っ盛りだ。隣の人は何をしているのだろう。
- 感想:秋には物悲しい雰囲気がただよっていますね。隣の人に話しかけるのではなく、何をしているのか想像するという様子に、人との距離も感じ、淋しさが増しますね。
荒海や 佐渡に横たふ 天の川
- 読み方:あらうみや さどによこたう あまのがわ
- 季語:天の川
- 意味:海が荒れているなぁ。そこに浮かんでいる佐渡ヶ島。空には長く横たわるように天の川が輝いている。
- 感想:日本海の荒れている様子。荒れた海に忽然と浮かんでいる佐渡ヶ島。大きな空いっぱいに流れているかのようなきらきら輝く星の川、天の川。それらの対比がすばらしいです。
菊の香や 奈良には古き 仏たち
- 読み方:きくのかや ならにはふるき ほとけたち
- 季語:菊
- 意味:菊の香りがするなぁ。奈良には古い仏像がたくさんある。
- 感想:香りは嗅覚を、仏像は視覚を刺激する句です。奈良にいるとき、時間がゆっくり流れているような錯覚をおこします。
[松尾芭蕉の俳句]有名な作品 一覧「冬」
初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり
- 読み方:はつしぐれ さるもこみのを ほしげなり
- 季語:初時雨
- 意味:この冬初めての時雨が降ってきた。猿も小さい蓑を欲しがっているように見える。
- 感想:時雨とは、すぐに止んでしまう通り雨のことですね。冬は少しの雨にもあたりたくないもの。それは猿も同じなのですね。
木枯や たけにかくれて しづまりぬ
- 読み方:こがらしや たけにかくれて しづまりぬ
- 季語:木枯
- 意味:木枯らしが吹いてきたなぁ。竹が風よけになっているので、ここは静かだ。
- 感想:竹林が風にゆられて音をたてているのがわかります。音はすれども、木枯らしから守ってくれているようですね。
百歳の 気色を庭の 落葉哉
- 読み方:ももとせの けしきをにわの おちばかな
- 季語:落葉
- 意味:庭の落葉が、この寺の百年の歴史を感じさせるなぁ。
- 感想:木から落ちてきた葉は、その生涯を終えたかのように見えますが、やがてそれは土にかえり、養分となります。この木がある寺もまた、100年の歴史を刻み、さらに先へと歩みをすすめていきます。未来永劫つづいていくかのように。この句からは、そんな、命の循環を感じました。
松尾芭蕉について
松尾芭蕉は江戸時代 元禄期に活躍した俳人です。。
滑稽話の多かった俳諧の芸術性を高めた人として知られています。
それでは、松尾芭蕉の生い立ちをご紹介しましょう。
松尾芭蕉は1644年(寛永21年)、現在の三重県伊賀市で誕生しました。
松尾与左衛門の次男として生まれ、兄弟は、長兄 半左衛門、姉一人、妹三人の6人です。
本名は、松尾宗房(まつお むねふさ)。
18~19歳の頃、藤堂新七郎家の義忠に料理人として仕えました。
芭蕉が料理人というのは、意外な感じがしますね。
芭蕉が仕えた義忠は、芭蕉より2歳年上で俳句仲間でもありました。
芭蕉は義忠と共に、京都の北村季吟に弟子入りしています。
そんな中、芭蕉23歳の時に、義忠は25歳の若さで亡くなってしまいます。
奉公先の主人であり、俳句仲間でもあった義忠をなくした芭蕉の心のなかはどのようなものだったのでしょうか。
芭蕉は、義忠の死後、藤堂家への奉公を辞することになりました。
28歳の時には、北村季吟のもとを卒業し、そして、江戸へ向かいました。
1677年(延宝5年)34歳の時に、念願の俳諧師になりました。
1689年(元禄2年)46歳の時、弟子の河合曾良(かわい そら)と「おくの細道」の旅に出ました。
1694年(元禄7年)「おくの細道」の清書本が完成します。
伊賀へ帰郷後、奈良を経たあと、大阪で病に倒れ、51年の生涯を閉じました。
松尾芭蕉 奥の細道について
旅の期間:1689年(元禄2年)3月27日~9月6日
芭蕉が46歳の時、弟子の河合曾良(かわい そら)と「おくの細道」の旅に出ました。
それは、約150日かけて、東北から北陸まで約600里(約2400キロ)を歩いてめぐるというもとのでした。
1日に約16キロもの距離を毎日毎日歩く計算になります。
それを150日間。
これは想像しただけでも、どれだけの偉業かわかりますね。
この旅の目的は、西行の足跡をたどること、そして、名所旧跡をめぐり古の詩人の心に触れることでした。
この旅を通して、芭蕉が体験したことがあります。
それは。
・永遠に変化しないものごとの本質「不易」
・ひと時も停滞せず変化し続ける「流行」
この二つがあるということを身をもって経験したのです。
この両面から俳諧の本質を捉えようとしていきます。
芭蕉は旅先で約50句を詠んだとされています。
[松尾芭蕉の俳句]有名な作品 一覧 松尾芭蕉について 奥の細道についてのまとめ
まとめです。
- 松尾芭蕉の俳句で有名な作品を春夏秋冬それぞれ3句づつご紹介しています
- 松尾芭蕉は、現在の三重県伊賀市出身
- 松尾芭蕉は、江戸は元禄期に活躍
- 「おくの細道」150日間 江戸から東北、北陸まで、2400キロを歩いてめぐった
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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