中村芝翫(なかむらしかん)さんは有名な歌舞伎役者で、結婚していて、3人の子供がいます。
父も有名な歌舞伎役者で、そんな中村芝翫さんの家系図はどのようになっているのでしょうか。
この記事では中村芝翫さんの家系図と、妻や子供、兄弟についてのエピソードを紹介します。
中村芝翫の家系図と経歴について
中村芝翫さんは本名中村幸二(なかむらこうじ)さんです。
長らく三代目中村橋之助(さんだいめなかむらはしのすけ)として活躍していましたが、2016年に八代目中村芝翫を襲名しています。
1965年8月31日の東京に4人兄弟の末っ子として生まれます。
年少の頃から歌舞伎の舞台だけでなく、テレビ番組などにも出演し、歌舞伎を知らない人たちの間でも高い知名度で人気でした。
2016年10月に歌舞伎座で中村芝翫を襲名します。それまでは三代目中村橋之助として活動していたので、名前を聞いてもピンとこない方もいるのではないでしょうか。
逝去された父親である七代目中村芝翫さんが人間国宝に認定されていたこともあり、芝翫の号はより大きな存在となっています。
身内に人間国宝がいたというのも、一般人からすると現実味のないように聞こえますね。
屋号は成駒屋(なりこまや)で、定紋は祇園守(ぎおんまもり)、替紋は四つ梅(よつうめ)です。
成駒屋は江戸中期に四代目中村歌右衛門(よんだいめなかむらうたえもん)がそれまでの屋号だった「加賀屋」を改め「成駒屋」としたことから続く、歴史ある歌舞伎役者の屋号です。
四代目中村歌衛門は有名な浮世絵である「東海道五十三次」にも描かれている程、歌舞伎役者として代々人気を博してきた名門です。
有名な浮世絵に先祖が描かれているというのは、一般人からはあまり想像できない感覚なのだと思います。
伝説の女形と言われる六代目中村歌右衛門は祖父の弟にあたります。
父親は七代目中村芝翫さんで、兄は九代目中村福助(きゅうだいめなかむらふくすけ)さんです。
長姉は日本舞踊の二代目中村梅彌(にだいめなかむらうめや)さんで、次姉は波野好江(なみのよしえ)さんです。
波野好江さんは故十八代目中村勘三郎(じゅうはちだいめなかむらかんざぶろう)夫人です。
妻は三田寛子(みたひろこ)さんで、元歌手の女優をされている方です。
3人の子供がいて、長男が四代目中村橋之助さん、次男は三代目中村福之助(さんだいめなかむらふくのすけ)さん、三男が四代目中村歌之助(よんだいめなかむらうたのすけ)さんです。
父も祖父もその上の代も歌舞伎役者で、自分も子供も同じく歌舞伎役者という家系図は中々珍しいですよね。
中村芝翫の妻 三田寛子とは元アイドル?!
中村芝翫さんの妻は三田寛子(みたひろこ)さんです。
女優であり、アイドルでもあった三田寛子さんは、1991年に中村芝翫さんと結婚します。
初デートのエピソードに、ドライブをしている車の中で「カセットをかけてもいいですか?」と芝翫さんに聞かれたことがあります。
どんな曲を聴くのだろうと思いながら許可すると、歌舞伎の演目が流れてきました。
寛子さんは驚きつつも、「なんて芸に熱心な人だろう」と歌舞伎に対する姿勢に惚れたと語っています。
デートのドライブ中でも歌舞伎を聞いていたいというのは、それだけ歌舞伎が好きなのでしょう。
趣味は日本画や書道、茶道といった和風なものです。
歌舞伎役者との相性は良さそうだなと思いますね。
3人の子供を出産し、3人ともが将来の歌舞伎役者に育っていきます。
「4人の歌舞伎役者」を支える梨園の妻業として生活していますが、主婦タレントや元アイドルとしてもテレビなどのメディアに出演しています。
中村芝翫の息子は何人?
中村芝翫さんには3人の子供がいます。
上から、四代目中村橋之助(よんだいめなかむらはしのすけ)さん、三代目中村福之助(さんだいめなかむらふくのすけ)さん、四代目中村歌之助(よんだいめなかむらうたのすけ)さんです。
長男の橋之助さんは本名が中村国生(なかむらくにお)さんと言い、1995年12月26日生まれです。
2000年に歌舞伎座で『京鹿子娘道成寺』の所化、『菊晴勢若駒(きくびよりきおいのわかこま)』の春駒の童で、本名である初代中村国生を名乗って初舞台を経験します。
本名を使うと初代を名乗れるというのはなんだか面白いですね。
5歳で初舞台というのも、歌舞伎の世界らしく感じます。
父親が中村芝翫を襲名する時に、橋之助さんも父が名乗っていた中村橋之助を四代目として襲名します。
父親が使っていた名跡を襲名するというのは、相当なプレッシャーがあったのだろうと思います。
その後も歌舞伎だけでなくドラマにも出演し、SpotifyでMCを務めるなど、様々な分野で活躍を続けています。
2020年に芸妓さんとの婚約話も持ち上がりましたが、2023年12月現在、橋之助さんは独身です。
次男の中村福之助さんは本名が中村宗男(なかむらむねお)さんで、1997年11月13日生まれです。
2000年、『京鹿子娘道成寺』の所化と『菊晴勢若駒(きくびよりきおいのわかこま)』の春駒の童で初代中村宗生を名乗り初舞台を経験します。
兄と同じ2000年が初舞台で、福之助さんは当時まだ2歳でした。
若いうちから舞台を経験するのは、将来の歌舞伎役者として良い刺激になりますよね。
兄と同じく2016年に父の中村芝翫襲名と共に三代目中村福之助を襲名します。
次男の襲名も何代も続いているところからも、歌舞伎の歴史の長さを感じますね。
三男が中村歌之助さんで、本名は中村宣男(なかむらよしお)さんです。
2001年9月10日生まれで、長男とは4歳差が離れています。
2004年に「菊薫縁羽衣」の宿星の童子役で本名の初代中村宣生で初舞台を経験します。
上に見習うべき歌舞伎役者の先輩が2人もいると、幼いころから厳しい稽古で大変そうですね。
2人の兄と同じく2016年に四代目中村歌之助を襲名します。
まだまだ若いので、これからの活躍に期待が高まりますね。
中村芝翫の兄弟 福助と中村勘三郎とは?
中村芝翫さんの兄は九代目中村福助さんです。
本名は中村栄一(なかむらえいいち)さんで、
女形の歌舞伎役者で、2013年に成駒屋の大名跡である中村歌右衛門を七代目として襲名する予定でいたが、脳内出血が原因で保留となっています。
2018年に舞台復帰を果たしますが、まだ後遺症が続いていて、リハビリを続けています。
義兄(姉の夫)が十八代目中村勘三郎さんです。
当時の歌舞伎のけん引役の1人でしたが、2012年に逝去されました。
歌舞伎界のみに留まらず、各界からも「大きな損失」と惜しまれました。
中村芝翫のまとめ
- 中村芝翫さんは長らく三代目中村橋之助として活躍していましたが、2016年に八代目中村芝翫を襲名しています。
- 屋号は成駒屋(なりこまや)で、定紋は祇園守(ぎおんまもり)、替紋は四つ梅(よつうめ)です。
- 四代目中村歌衛門は有名な浮世絵である「東海道五十三次」にも描かれている程、歌舞伎役者として代々人気を博してきた名門です。
- 中村芝翫さんの妻は三田寛子(みたひろこ)さんです。
- 女優であり、アイドルでもあった三田寛子さんは、1991年に中村芝翫さんと結婚します。
- 中村芝翫さんには3人の子供がいて、三人とも歌舞伎役者の道を進んでいます。
- 長男が四代目中村橋之助さん、次男は三代目中村福之助さん、三男が四代目中村歌之助さんです。
- 中村芝翫さんの兄は九代目中村福助さんです。
- 義兄(姉の夫)は十八代目中村勘三郎さんです。
中村芝翫さんはれきしある歌舞伎役者の家系の生まれです。
父も偉大な歌舞伎役者だったので、芝翫さんも今後さらなる活躍に期待できます。
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