こんにちは!日本の文化調査隊の美緒です。
今回は、6代目三遊亭円楽師匠をご紹介します。
円楽師匠は、2022年9月30日 肺がんのためお亡くなりになりました。
72歳でした。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
2022年1月に脳梗塞で倒れ、リハビリを続けていましたが、8月高座復帰したことで話題になりました。「死ぬまでやります」と言っていた円楽師匠。
高座でテレビで活躍される日も近いのでは、と期待が高まっていた矢先の訃報に、ファンのみなさんは驚いたのではないでしょうか。
今回は、生前の円楽師匠を偲んで、円楽師匠の若い頃と現在、病気について、そして、伊集院光との関係について、どこよりもわかりやすくお伝えします。
三遊亭円楽の若い頃は?プロフィールも紹介します!
若い頃の円楽師匠。誠実そうな好青年ですね。
まだ腹黒じゃないころの 好青年楽太郎 今じゃ笑点の顔六代三遊亭円楽師匠でございます pic.twitter.com/gOgL5R72OP
— のんちゃん (@jazzranchan) February 19, 2017
円楽師匠のお父さまは警視庁の警察官で、その反抗心から、学生時代は学生運動に参加をしていました。
落語に出会ったのはそんな時。
「ユートピアを追うことに疲れたとき、落語の中にこそユートピアがあることを発見。落語の世界で生きて行く!」
と決めたのです。
大学時代に5代目圓楽師匠がかばん持ちを探しているとの噂を聞き、志願しました。
かばん持ちから付き人を経て入門することになりました。
大師匠である6代目圓生師匠により「三遊亭楽太郎」と名付けられました。
そんな楽太郎さんの本名はなんでしょうか?
本名は、
會 泰通(あい やすみち)です。
とても珍しい苗字ですね。全国で40名ほどしかいないようです。
それでは、円楽師匠のプロフィールもご紹介しましょう!
生年月日:1950年2月8日
出身地:東京都墨田区
家族:会 一太郎(あい いちたろう)声優、落語家(高座名:三遊亭一太郎)
学歴:青山学院大学 法学部卒
経歴:
1976年7月 二ツ目昇進
1977年8月 「笑点」レギュラーになる
1981年3月 真打昇進
2010年3月1日 6代目三遊亭圓楽を襲名
(引用元:Wikipedia)
「笑点」で楽太郎さんは紫の紋付を着ていました。
木久扇師匠は黄色、好楽師匠はピンク色ですね。
この色はどのように決まるのでしょうか?
楽太郎さんに関していえば。
師匠が笑点をやめて以来、着ていた紫色が空いていたとのこと、
楽太郎さんがそれを受け継いだということですね。
以来、紫色は楽太郎さんの色になりました。
1978年に落語協会分裂の騒ぎがあり、師匠とともに協会を脱退、寄席への出演があまりできなくなります。
その頃の楽太郎さんは、マクドナルドのCMに出演したり、ヤマハ発動機のCMに出演したり。
タレント活動が多くなり、
「もっと噺家としての腕を磨け」などの声が聞かれるようになります。
もし、楽太郎さんが噺家として手を抜いていたとしたら。
ここまで人気は出なかったですよね。
学生運動のエネルギーを落語に注いだ楽太郎さん。若干27歳で笑点のメンバーに選ばれ亡くなるまでの45年間、お茶の間に笑いを届けてくれましたね。
私が子どもの頃、日曜日の夕方になると笑点がテレビから流れていました。
内容はよくわからないものの、「楽しい番組!」ということはわかりましたし、
大の大人の楽太郎さんと歌丸さんの楽しそうな掛け合いが「なんか楽しい!」と感じていました。
三遊亭円楽の現在は?
2022年10月4日 六代目三遊亭円楽さんの通夜が東京 町屋斎場で営まれました。
喪主は長男の会一太郎(あい いちたろう)さん。
円楽さんは2000年に、前橋市の「曹洞宗鷲霊山釈迦尊寺」に自分の墓を建てていました。
釈迦尊寺との出会いは、五代目圓楽師匠のカバン持ちをしていた頃。
2016年に前橋市の観光大使になったことをきっかけに、「前橋」がぐっと近い存在になっていきます。
この年には、釈迦尊寺住職の山崎さんの得度を受け、僧侶になっているのです。
僧名は、会圓生
戒名は、泰通圓生上座(たいつうえんしょうじょうざ)
「死んだら住民票移して、前橋市民になる」
と言っていた円楽師匠。
11月17日の四十九日より前に納骨し、前橋市民になります。
三遊亭円楽が患った病気は?
円楽師匠は、2018年以降、闘病が続きました。
2018年9月 初期の肺がんであることを公表
2018年10月 手術後、数日で復帰
2019年7月 脳腫瘍治療のため入院
2022年1月~ 脳梗塞のため入院、リハビリと経過観察中の肺がんのため長期入院
2022年5月20日 退院
リハビリを続けた結果、8月11日には国立演芸場で高座復帰しました。
その時の取材で、高次脳機能障害があり、短期記憶障害があることが明らかにされました。
次のようにも語っています。
「ありがてぇとおもったのは長期記憶で昔覚えた落語は忘れてないんだ。それはスゴいなと思った。しゃべっていると、なんとかストーリーが出てくる。」
2022年8月末 軽度の肺炎で入院
2022年9月30日 肺がんのため亡くなりました
突然のことで、関係者だけでなく、円楽師匠を知っているすべての人が驚いたのではないでしょうか。
多くの人との縁をつなぎ、落語界に貢献している縁の下の力持ち、円楽師匠。歌丸師匠や伊集院光と絆を築いたようにたくさんの人と交流されていた円楽師匠。
落語界を盛り上げるためにプロデューサーのような役割を担っていた円楽師匠。
次の世代の落語家さんが跡をついでくれるのを期待したいと思います。
三遊亭円楽は伊集院光の師匠って本当?
伊集院光は高校時代、あまり学校に行っていませんでした。そんな時、親戚の知り合いの紹介で三遊亭楽太郎(6代目三遊亭円楽)に弟子入り、結局、高校は中退しました。
当時、三遊亭楽大(さんゆうてい らくだい)を名乗り、1988年には二ツ目昇進。実はこの時、師匠には内緒でラジオ番組に出演、「伊集院光」と名付けられていました。1990年、「伊集院光」として脚光を浴びるようになり、ラジオ番組出演が一門に知られてしまいます。
しかし、楽太郎は破門せず、自主廃業という形をとることになります。
1990年に自主廃業するまで5年間の落語家として活動でした。
落語を廃業してからも、円楽師匠と伊集院光は良好な関係を続けていて、円楽師匠はいまだに弟子として扱っています。
伊集院光が名乗っていた「楽大」という高座名は、現在は別の人が名乗っています。
これにもひとつストーリーがありまして。
ご紹介しましょう。
現在「三遊亭楽大」を名乗っている天野吉秀さんは、学生時代、伊集院光のラジオ番組リスナーで、落語家になるにあたり、伊集院光の師匠だった三遊亭円楽を師匠に選んだのです。
円楽師匠の下で、伊集院光が名乗っていた「楽大」を名乗ることになった天野さん。
ご縁がつながっていきます。
三遊亭円楽と桂歌丸は犬猿の仲だった?!
日本テレビの人気番組「笑点」では、円楽師匠と歌丸師匠は犬猿の仲で、よく罵倒し合っていました。それが番組のひとつの見どころでもありましたが、このふたりは本当に犬猿の仲だったのでしょうか?
円楽師匠の話の中にその答えがありました。
円楽師匠が若い頃、笑点での自分のキャラクター設定について悩んでいたとき、歌丸師匠は「俺のことでもいいから」と声をかけてくれました。それ以来、番組で二人の「けんか」を見ることになるのですが、円楽師匠が罵声を浴びせた後は必ず、歌丸師匠に謝っていたそうです。
6代目圓楽襲名披露のとき、5代目圓楽師匠はすでに他界していて、歌丸師匠が後見人を引き受けたり、「桂歌丸を人間国宝にする会」を立ち上げ、署名運動を行ったり、と数々のエピソードが残っています。このことからも、実はこの二人の絆はとても深かったということがわかりますね。
テレビ画面越しに見るふたりの罵り合いは本気のようにも見えて、ハラハラすることもありましたが、信頼しているからこそ、成り立つ関係のようにも見えました。
円楽師匠と歌丸師匠との掛け合いを見ることはもうできません。笑点のひとつの「みどころ」だったので、少し寂しいですね。
三遊亭円楽の若い頃、現在、患った病気、伊集院光、歌丸との関係についてのまとめ
六代目三遊亭円楽師匠のまとめです。
- 青山学院大学在学中、学生運動に参加。その後、5代目圓楽師匠のかばん持ちを経て入門
- 父は警察官
- 前橋市民となり、前橋市の「釈迦尊寺」に納骨
- 肺がん、脳腫瘍、脳梗塞を患った
- 高校時代に円楽師匠に弟子入り「三遊亭楽大」を名乗る
- 笑点での歌丸とのバトルは激しいものだったが、実際は仲良しだった
三遊亭円楽は長い間、笑点のレギュラーとして活躍していましたが、同じ時期を「座布団運び」として山田隆夫さんと番組を盛り上げてきました。山田隆夫さんのご家族についてはこちらでご紹介しています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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