神田伯山の学歴やプロフィール、経歴について詳しく紹介!

落語

六代目神田伯山(かんだはくざん)さんは二つ目時代から人気の講談師です。

真打にも昇進し、ギャラクシー賞などの賞も受賞していて、今後の活躍にも注目が集まっています。

この記事では神田伯山さんの学歴や経歴などのプロフィールを紹介します。




神田伯山の学歴(小学、中学、高校、大学)

出典:落語芸術協会

神田伯山さんは東京都豊島区立池袋第三小学校出身です。

公式のブログで「クラスでもとびきり明るい子供だった」と書くほど、クラスの中心的な存在でした。

毎日のように先生から怒られていましたが、皆から愛される生徒でした。

講談師は人前に立って人を笑わせる職業ですので、子供の頃からその片鱗があったのでしょう。

 

小学4年生(10歳)の時に父親を亡くします。

葬式では泣きませんでしたが、先生とクラスメイトが弔問に来てくれた際には嗚咽する程泣きました。

学校で関わりのある人たちが学校以外の場所に来てくれて、父親の弔問をしに来てくれたことは、当時の伯山さんにとって嬉しいことだったのでしょう。

 

その後、豊島区立道和中学校に進学します。

2005年に統合され、2024年現在は豊島区立西池袋中学校になっています。

部活動はバスケットボール部に所属し、レギュラーで活躍しました。

講談師なので文化系と思いきや、バスケットボール部でレギュラーだったということは、運動神経も良かったのでしょう。

 

高校は東京都の聖学院高校に進学します。

偏差値は57と平均より高めの高校です。

私立の男子校で、中高一貫校です。

現在は募集されていませんが、当時は高校からの編入制度があり、伯山さんは高校編入組として高校生活を送ります。

 

「学校に対しては、旅人みたいな感じでしたね。ここは定住するとこじゃないというか、そもそも教えられることが好きじゃないんですよ。自分で本読んで勉強するのはいいんですけど、先生が言ったことを記憶して、テストで点を取る作業も好きじゃなかったですし、興味をそそられないことは徹底的にやらない性格でしたから」

 

当時を振り返ったインタビューでは、このように言っています。

学校や受験勉強などにはあまり熱心には取り組まなかったのでしょう。

それでも学力がいいところを見ると、自頭が良かったことが分かりますね。

 

親友が1人できますが、中高一貫校で高校から編入というのは、若かった当時の伯山さんにとって精神的に負荷が大きかったのかもしれません。

 

大学は武蔵大学経済学部経営学科に進学します。

東京都練馬区の私立大学で、偏差値は57です。

伯山さんは現役ではなく1年間浪人し、この大学に進学しました。

 

伯山さんは小学生の頃と比べると大分内気な性格になっていて、同じゼミの生徒たちと電話番号の交換もできませんでした。

周りの学生とは違い浪人していて、さらに卒業後は落語家を目指していた伯山は、大学では中々気の合う仲間とは出会えなかったのかもしれません。


神田伯山のプロフィール

神田伯山さんの本名は古館克彦(ふるたちかつひこ)さんです。

1983年6月4日、東京都豊島区池袋に生まれます。

 

師匠は三代目神田松鯉(かんだしょうり)さんです。

弟子は3人いて、神田神田梅之丞(かんだうめのじょう)さん、神田青之丞(かんだあおのじょう)さん、神田若之丞(かんだわかのじょう)さんです。

 

出囃子は勧進帳滝流し(かんじんちょうたきながし)、紋は三ツ鐶(みつかん)です。

 

2007年に神田松之丞(かんだまつのじょう)を襲名、2020年には講談の大名跡である神田伯山を六代目として襲名します。

 

講談師のほかにラジオパーソナリティやYouTubeチャンネルでの活動もしています。

古館理沙さんと結婚していて、子供が1人います。

 

2020年には第57回ギャラクシー賞テレビ番組部門フロンティア賞を受賞しています。

花形演芸大賞では毎年のように賞を受賞し、2023年には大賞に選ばれています。


神田伯山の経歴

神田伯山さんは高校生の頃からNHKの深夜ラジオを聴いたり、親友と寄席に行くようになります。

ラジオで流れていた6代目三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう)さんの「御神酒徳利(おみきどっくり)」が落語にはまったきっかけです。

高校生で深夜ラジオで落語とは、中々渋いですよね。

大人になっていく最中だった当時の伯山さんにとって、大きな影響を与えていることが分かります。

 

浪人生活の時にも落語の寄席には通っていて、立川談志(たちかわだんし)さんの独演会をきっかけに、ファンになって追っかけをしていたほど、落語への情熱が高かったです。

勉強しなければならない浪人中も落語にはまっているのは、それだけ落語が好きだったのでしょう。

 

浪人中に落語家になる事を決意しますが、一度大学を経由します。

「お客としている時代がもっと欲しかった。演者になると、演者としての立場でしかものを考えられなくなる」とインタビューで答えています。

本気で落語家を目指していたからこそ、焦らずに今の自分に出来る事を考えていたのでしょう。

 

その後、大学時代に講談師の6代目神田伯龍(かんだはくりゅう)さんの講談に出会います。

「それまでは伯龍先生、正直、つまらない先生だなと思っていた。でも『雨夜の裏田圃』を聴いたとき、これはすごいやと。江戸時代の空気感が伝わってきた瞬間があったんです。伯龍先生は12歳から講談を始められたのですが、長年、積み重ねてきたものが滲み出ているんですよね。ただ、周りのお年寄りたちはほとんど寝ていました。談志師匠のときとは違って、俺しか気づいていない、っていう使命感が芽生えて」

落語より知名度の低い講談の世界に可能性を感じ、講談師の道を志します。

使命感が芽生えるほど心に訴えるものがあったのは、うらやましいような気もしますね。

 

大学卒業後、2007年11月に三代目神田松鯉に入門します。

神田松鯉に入門を認めて貰えるよう、大師匠である2代目神田山陽(かんださんよう)さんの命日の10月30日に入門志願をしました。

この時に神田松之丞と命名されます。

 

入門後には寝食を忘れるほどネタを覚えることに没頭し、師匠からは「将来名人になる」と言われます。

 

努力を続け、5年後の2012年に二つ目に昇進します。

2013年には講談師としては唯一「成金」という若手落語家ユニットに所属します。

今後の演芸界のために落語家と力を合わせています。

 

2016年には真打への昇進が落語芸術協会で議題としてあがりましたが、この時は否決されます。

2020年2月11日に真打昇進となり、その後も活躍を続けています。


まとめ

  • 神田伯山さんは東京都豊島区立池袋第三小学校出身です。
  • 小学4年生(10歳)の時に父親を亡くします。
  • 豊島区立道和中学校、聖学院高校、武蔵大学経済学部経営学科に進学します。
  • 2007年に神田松之丞を襲名、2020年には講談の大名跡である神田伯山を六代目として襲名します。
  • 2013年には講談師としては唯一「成金」という若手落語家ユニットに所属します。
  • 2020年、第57回ギャラクシー賞テレビ番組部門フロンティア賞を受賞しています。

 

若手時代から努力を重ね、真打となった神田伯山さんの今後のさらなる活躍に期待しましょう。

 

神田伯山さんの奥さんについてはこちらでご紹介しています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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