日本テレビで放送の長寿番組「笑点」の司会者としておなじみの春風亭昇太さん。
静岡生まれの春風亭昇太さんが、どうやって東京で落語家になったのか。
そして、なぜあんなにお城に詳しいのか。
春風亭昇太さんの人生には、私たちの日常にも通じる喜びや苦労、そして思いがけない出会いがたくさん詰まっていました。
今回は、春風亭昇太さんの学生時代から落語家としての歩み、そして意外な趣味まで、じっくりとご紹介します。
もしかしたら、あなたはまだ、春風亭昇太さんの魅力に気づいてないかもしれません。
春風亭昇太さんの魅力、すごいですよ。ぐっと引き込まれることになると思います。
それでは、春風亭昇太さんの世界へどうぞ!
春風亭昇太の学歴は? 小・中・高それぞれについて!
春風亭昇太さんは静岡県清水市で育ちました。
通っていた学校をご紹介します。
・小学校は、清水市立辻小学校
・中学校は、清水市立第六中学校
・高校は、私立 東海大学第一高等学校(現・東海大学付属静岡翔洋高等学校)
・大学は、東海大学文学部歴史学科
高校選びには、大学進学を視野に入れていたのかもしれません。
高校は、東海大学の付属校だったので、内部進学の道も開けていたんですね。
実際、春風亭昇太さんは後に東海大学文学部歴史学科に進学し、日本史を専攻しています。
私立高校を選んだ背景には、こういった将来を見据えた選択があったのかな?と私は想像してしまいます。
小学生時代
小学生の頃はサッカーをしていたのですが、落語には興味がありませんでした。
単純に「面白くない」と思っていました。
私の子どもも「これつまんない」って言うことがあるんですが、将来どんな風に興味が変わっていくのかな?って思っちゃいますね。
中学生時代
中学時代は、ブラスバンド部で管楽器を担当。
でも、あまり上手ではありませんでした。
私も学生時代、習い事とかでうまくいかなかったこと、たくさんあったな…。
でも、そんな経験も今となっては良い思い出です。
高校生時代
高校では、ソフトボール部に入部。
でも、春風亭昇太さんいわく「ポジションはベンチ」。
「県でベスト4だった。4チームしかなかったから」って、自虐的に語っています。
この話、笑点での軽妙なやりとりを思い出させますね。
学生時代の性格
春風亭昇太さんの学生時代の性格については、人見知りが激しくて、自分のクラスでは話せても他のクラスでは話せない傾向がありました。
私も人見知りだったから、すごくわかります。
加えて、興味のないことには全く手をつけない面もありました。
春風亭昇太さんは字が下手だったので習字教室に通わせてもらっていたのですが、実際には教室に行かずに散歩をして、習字教室が終わる頃に家に帰っていたんです。
今の真面目だけど真面目じゃないあの感じの昇太さんは小学生時代から同じだったんですね。
子供時代の大きな出来事
春風亭昇太さんの小学生時代には、生涯忘れられない大きな出来事がありました。
昇太さんには大人びていて頭の良い友達がいました。
その友達は、昇太さんがふざけると諌めてくれるような存在でした。
しかし、その友達が突然亡くなってしまいました。
当時の昇太さんにとって、これは大きなショックでした。
昇太さんは、人はおじいさんやおばあさんになってから死ぬものだと思っていたため、若くして友達を亡くすという経験に驚き、深く考えさせられました。
この出来事をきっかけに、
「人はいつか死ぬんだ。だから、なるべく楽しく生きていこう」
という考えを持つようになりました。
春風亭昇太さんが少年のころに抱いたこの言葉、軽い言葉ではないですね。
それが近しい友人の死だった小学生のころの春風亭昇太さんの気持ちを想像すると、この「いつか死ぬ。なるべく楽しく生きていこう」はそれからずっと今に至るまで胸に刻まれているのでしょうね。
この経験が、後の落語家としての人生観や作品にも影響を与えているのかもしれません。
春風亭昇太さんの学生時代を知ると、今笑点でたわいもない冗談を言っているシーンにも、どこか深みが感じられるようになりますね(笑)
春風亭昇太の学歴は? 大学でのエピソードは?
春風亭昇太のプロフィールを徹底解説!
春風亭昇太さんのプロフィール、みなさんどのくらいご存知でしょうか?
テレビでおなじみの姿の裏に、実はたくさんの興味深いエピソードが隠れています。
まずは基本情報から:
- 生年月日:1959年12月9日
- 年齢:64歳(2024年8月現在)
- 出身地:静岡県静岡市清水区(旧・清水市)
- 本名:田ノ下 雄二(たのした ゆうじ)
続いて、春風亭昇太さんについて、それぞれご紹介します。
家族について
家族構成を見てみると、お父さんは日本軽金属に勤めるサラリーマンで、研究職でした。
お母さんはお針子さんとして家計を助けていました。
これが実は、春風亭昇太さんの落語家人生にも大きく関わってくるんです。
お母さんは春風亭昇太さんが子どもの頃から、人に頼まれた着物を縫って家計を支えていました。
その腕前が素晴らしく、春風亭昇太さんが落語家になりたてのころ、お金がなくて困っていたときに大活躍しました。
反物は買えても仕立てるお金がなかった春風亭昇太さん。
実家に反物を送ると、なんとお母さんが着物や小物など、完璧な品物に仕立てて送り返してくれました。
お母さんの技術が、春風亭昇太さんの落語家としての第一歩を支えていたんですね。
2歳年上のお兄さんがいて、面白いことに、お兄さんの奥さんは春風亭昇太さんの小学校時代の同級生なんです。
結婚について
春風亭昇太さんの結婚は、多くのファンを驚かせるニュースでした。
長年、独身を貫いていた春風亭昇太さんは、2019年6月30日に結婚を発表したのです。
このとき昇太さんは59歳。還暦を目前にした結婚に、世間は大いに沸きました。
お相手は下薗利依(しもぞの りえ)さん。元宝塚歌劇団雪組の娘役で、芸名は宝珠小夏(ほうじゅ こなつ)さんでした。
結婚当時、下薗さんは40歳。19歳差のカップルの誕生に、多くの人が祝福の声を送りました。
春風亭昇太さんは結婚について「お互いの仕事を理解し合える関係」と語っています。
芸能界という特殊な環境にいる二人だからこそ、深い理解と信頼関係が築けたのでしょう。
今は奥さんと愛犬と暮らしています。
芸名「春風亭昇太」の由来
さて、春風亭昇太さんの芸名の由来って気になりませんか?
実は、師匠である春風亭柳昇さんから与えられたものなんです。
落語家の名前は通常、師匠から与えられることが多いんですよ。
「昇」という字は師匠の柳昇から受け継いでいて、これは師弟関係を示すものです。
お城好き
プライベートな一面も覗いてみましょう。
春風亭昇太さんは「お城マニア」として知られています。
なんと全国各地の約600もの城跡を巡っています。
この趣味が高じて、城関連の仕事にもつながることがあります。
バンド活動
他にも、役者仲間とバンドを結成して、都内のライブハウスでギターやボーカルを担当することもあります。
映画鑑賞、浮世絵、プラモデル、三味線、エレキギター、ブルースハープ、観劇、野球観戦、ボクシング観戦、写真、釣り、旅行など、趣味の幅が広いんですね。
自宅のこだわり
春風亭昇太さんの自宅には、リビングにハンモックを吊るしたり、ダイニングを小料理屋風にしたりと、独自の工夫が施されています。
料理も得意で、独身時代から「なんでも一人でできる」と語っています。
こうしてプロフィールを見ていくと、テレビで見る姿だけでは分からない春風亭昇太さんの多彩な一面が見えてきますね。落語家としての顔だけでなく、様々な興味や趣味を持ち、自分らしい生活を楽しんでいる姿が浮かび上がってきます。
春風亭昇太の経歴は?受賞歴は?!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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