こんにちは。日本の文化調査隊の美緒です。
ご訪問ありがとうございます!
今回は、桂三度さんをご紹介します。桂三度さんはかつて芸人さんでした。そう、あの「世界のナベアツ」です。芸人から落語家へ転身したそのワケとは?
それでは、まずはこの話題から!
桂三度さんはいつ真打に昇進したの?現在は落語家として活躍中!?
一人前の落語家の証として「真打」というものがありますね。
真打昇進して初めて、落語家として認められたというイメージが強くあると思います。
実はこの「真打」、落語家さん全員が目指せるものではないのです。
どういうことでしょうか。
真打制度を導入しているのは、落語協会、落語芸術協会、円楽一門会、落語立川流の4団体。
上方落語協会は導入していません。
桂三度さんは上方落語協会に所属しているので、真打という制度はないのですね。
それではここで、桂三度さんが落語家になった時のお話をご紹介しましょう。
桂三度さんは落語家になる夢を10年にわたって持ち続けました。放送作家になるか、落語家になるか。かつての究極の選択がずっと心の中に残っていたのです。
20代の自分よりは30代の自分の方がええわ。放送作家やってたからやわ。
でも地にまだ足がついていない。この隙間を埋めるには、あの時思った落語をやった方が絶対にいい。ってグーッと止められんようになったんです。
テレビ番組のなかでそう振り返る三度さん。
2011年に、桂文枝師匠に弟子入りを果たします。芸名もキャリアも一切を捨て、ゼロからのスタート。41歳にしてかばん持ちからの修行が始まりました。
雑誌の取材で当時を振り返り、次のように語っています。
「41歳での弟子入りは肉体的にキツかったですね。重たい荷物も運ばないといけないのですが、僕は腰が悪いので……。そういうのは年下の“兄弟子”さんに手伝ってもらったりして、なんとか乗り切りました。だからその分、僕は“大人力”を発揮。師匠が欲しいものを二手三手先回りして、若い人では気づかないことまで全て用意するんです」
弟子入り当初は周りによく思われずに辛い日々を送っていたという三度さん。地道な努力の積み重ねですこしづつ周囲に受け入れてもらえるようになっていきます。
落語家としては、2012年「桂三度」として初高座にあがりました。
そして、2018年「NHK新人落語大賞」を受賞します。「NHK新人落語大賞」は若手落語家の登竜門で2021年には女性で初めて桂二葉さんが受賞しています。
芸人→放送作家→芸人(ピン芸人)→落語家 と多くの経験をしてきた桂三度さん。その経験が糧となり、噺家としてこれからますます活躍されることでしょう。
ちなみに、桂三度さんは上方落語協会に所属していて、この協会では真打制度を導入していないため、三度さんは真打ではありません。
経験してきたすべての分野において、結果を残している三度さんの生き方に学ぶところはたくさんありそうです。
桂三度さんは「世界のナベアツ」?! 知られざるキャリアとは?
「桂三度」という名前を知らなくても、「世界のナベアツ」なら知っている、という人も多いかもしれませんね。
「3の倍数と3のつく数字の時にアホになります」というネタで「爆笑レッドカーペット」などに出演、お茶の間に笑いを起こしていました。「世界のナベアツ」というピン芸人かと思いきや、実はそうではなかったのです。
それでは、まず、桂三度さんのプロフィールをご紹介しましょう。
芸名:桂 三度(かつら さんど)
本名:渡邊 鐘(わたなべ あつむ)
生年月日:1969年8月27日
出身地:滋賀県
血液型:B型
入門年月日:2011年3月2日 六代桂文枝
所属事務所:吉本興業 NSC大阪校10期生
主な活動:漫才コンビ「ジャリズム」、放送作家、竹馬アイドルユニット「紫SHIKIBU」、映画監督、声優、CM出演ほか
桂三度さんは1991年山下しげのりさんと「ジャリズム」を結成。わかりやすいコントや漫才はデビュー当初から注目を集めていました。
結成から3年後の1994年、「ABCお笑い新人グランプリ(現 ABCお笑いグランプリ)」に出場、審査員特別賞を受賞しました。この年の大会では、最優秀新人賞は「ますだおかだ」、優秀新人賞は「千原兄弟」が受賞しています。決勝には「T・K・O」も進んでおり、彼らを抑えての審査員特別賞受賞だったのです。当時、出場資格はコンビ結成5年以内という規定があり、若手芸人の登竜門となっていました。そのような大会で受賞するなど、関西を中心に人気を得ていきます。
そうそうたる顔ぶれの大会に出場、コンビでしっかりと結果をだしていたのですね。
1996年には、千原兄弟、雨上がり決死隊とともに冠番組「アメジャリチハラ」がスタート、また、東京進出を果たすなど順風満帆でしたが、そんな彼らにも陰りが見え始めます。
冠番組が打ち切られ、レギュラー番組が減っていく中で将来に不安を感じた相方・山下しげのりさんが一方的にコンビを解散してしまうのです。
三度さんの人生はこのあたりから大きく変化していきます。
1998年に解散したあと、三度さんは放送作家として活動し始めます。そのきっかけについてテレビ番組のなかで次のように話しています。
29歳の時に『ジャリズム』というコンビの相方、山下君から「解散したい」っていわれて、その時に自分の芸人としてのプレーぶりがすごい嫌やったんですよ、自分で。
これ何とかしたいなと思って、「いい芸人になるにはどうしたらええかな?1人で」と思った時に、『放送作家』と『落語家』っていうのがパッと浮かんだんですよ。
で、放送作家はわかるじゃないですか、テレビの勉強したりとかあったんですけど、落語家はちょっと意味わからんから、で、29歳で弟子修行しんどいなーとか、いろんな理由で放送作家を選んだ。
放送作家として制作に関わった番組の代表的なものは、
・笑っていいとも
・めちゃイケ
・アメトーーク
・笑う犬
など、人気番組が多数あります。
世の中には放送作家といわれる人はたくさんいると思います。その中でも人気番組の制作に関わり、芸人として注目されていたとはいえ、結果を残すとは、才能と努力の両方を持っていたのでしょうね。
2004年には「ジャリズム」再結成、同時期に「世界のナベアツ」として芸人としても活動を始めます。前述のギャグで一躍、時の人となり、2008年頃にはCMにも多数出演。ミスタードーナツのCMでは相武紗季さんとの共演も果たします。この頃は、東京のテレビにも多数出演していましたね。私も好きな芸人さんのひとりでした。
そしてさらには、竹馬アイドルユニット・紫SHIKIBU(むらさきしきぶ)を結成。光GENJIに続く、竹馬に乗って踊る新しいアイドルとしてメンバーを募ります。このメンバーがすごいのです。
ココリコ・田中、ガレッジセール・ゴリ、元雨上がり決死隊(宮迫、蛍原)、山下しげのり、の計6名で、ナベアツはリーダー兼プロデューサーを務め、楽曲の作詞作曲も担当しました。その多才ぶりには本当に驚いてしまいます。ただ、私は個人的にはこの活動はしりませんでした。見てみたかったですが、もう無理でしょうね~
いずれの活動も2011年に落語の修行に専念することを決めた時には、解散となってしまいますが、プレイヤーとしての活動と、プロデューサーとしての活動、これらは落語家としてのキャリアを形成するのに大きな助けとなっていますね。
桂三度さんは笑点への出演を果たした!
2022年6月26日放送 日本テレビの人気番組「笑点」の大喜利に出演しました!
三遊亭円楽さんが脳梗塞による療養中のため、代役として出演。早々たるメンバーの一員として横並びで大喜利に臨みました。
創作落語を得意とする桂三度さん。文枝師匠からも「発想力とともに、積み重ねてきた稽古が力となって、形になりはじめている」と噺家としての評価もあがってきています。
今後の活躍がますます期待できますね!
桂三度 真打昇進と「世界のナベアツ」がついに笑点に出演についてのまとめ
今回は、桂三度さんについてのお話をご紹介しました。いかがでしたか?
人に歴史あり。落語家としてのこれからの桂三度さんの活躍から目が離せません。
桂三度さんは2018年にNHK新人落語大賞を受賞していますが、その3年後の2021年に女性で初めて桂二葉さんが大賞を受賞しました。桂二葉さんについてはこちらでご紹介しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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