こんにちは。日本の文化調査隊の美緒です。
ご訪問ありがとうございます!
今回は、歌人の栗木京子さんをご紹介します。
栗木さんのプロフィールから学生時代のエピソード、そして、あの有名な歌まで。
まずはこちらの話題からどうぞ!
栗木京子はどんな人?その人柄に迫ります!
栗木さんは、京都大学在学中、授業についてゆけずに大きな挫折を味わいます。そんな時に短歌に出会い、自分の中にあるものを表現する術を手にしました。
その後、数年間は短歌から離れていますが、恩師 高安国世氏の導きで、再び歌の世界に戻ります。
大学時代は青春の歌、40代半ばくらいまでは家族や日常生活で揺れうごく心の中を歌い、40代後半では、時事問題等を題材に歌を詠みはじめます。
その頃の作品、第五歌集「夏のうしろ」では若山牧水賞などを受賞するも、「上から目線」という批評を受け、苦しい思いをします。
それでも、栗木さんは自分のスタイルに腹をくくり、いさぎよく、歌を発表しつづけます。
その後も作品は高い評価を受け続け、数々の賞を受賞、2020年1月には、宮中歌会始の儀で天皇陛下に招かれて歌を詠む召人(めしうど)も務めました。
そして、同年、女性として初めて、現代歌人協会の理事長に就任しました。その時のインタビューで次のように語っています。
「地方の人を巻き込むのが大事と思って」引き受けた。十年ほど前に都内に居を移したが、名古屋市に生まれ、長く岐阜市で暮らした。東京に通っていた経験から「活動の場が東京に偏り、地方からほとんど参加できていない」状態が気になる。コロナ禍が落ち着いたら真っ先に、シンポジウムなどを地方で開こうと思案する。「被災地でやるのもいい。励ますつもりで行脚したい」 (引用元:東京新聞)
若山牧水賞の選考委員を務めたり、読売歌壇など新聞歌壇の選者も10年以上務めている栗木さん。今の歌壇にとってなくてはならない人になっています。
でも、ここまでの道のりは決して平たんではありませんでした。挫折の中で出会った短歌、すぐれた短歌を発表しても批評される日々。きっと心が折れそうになったことは何度もあったと思います。そんな時に相談できる先輩や仲間の存在が栗木さんを支えてこられたのでしょうね。
2022年にはNHK短歌の選者も務めている栗木さん。その鋭い視点とどこかふんわり少女のような一面を見せてくれるチャーミングな栗木さんに、短歌を始めたばかりの人も魅了されているのではないでしょうか。
栗木京子の夫とは?どんな結婚生活の中で歌を詠んでいるのか調査しました!
栗木さんの夫について、インタビュー記事やネット上の情報を調べてみましたが、見つけることはできませんでした。
ご主人やご家族を詠んだ歌がありますので、その中からいくつかをご紹介しますね。
入口に夫を待たせて靴を買ふ降誕祭の電飾うつくし
人生はたのしと胸にくり返す文章問題解けぬ子とゐて
幸せをみせびらかしに日曜の動物園に来て象を見る
いづこへとひかれゆく子か抱きても抱きてもからだかしげて眠る
栗木さんとご家族の様子がじんわりと伝わってきますね。
栗木京子の生い立ちとは?出身大学や経歴について明らかに!
それでは、栗木さんのプロフィールをご紹介します。
本名:中原京子(旧姓:山本) 栗木は母方の姓
生年月日:1954年10月23日
出身地:愛知県名古屋市
所属結社:塔
経歴:
1975年 結社「コスモス」入会 「二十歳の譜」で角川短歌賞 次席
1977年 京都大学理学部生物物理学科卒業
1981年 結社「塔」入会
1984年 第一歌集「水惑星」刊行 現代歌人集会賞
1995年 歌集「綺羅」で河野愛子賞
2004年 「夏のうしろ」で読売文学賞 若山牧水賞
2007年 「けむり水晶」で迢空賞、芸術選奨文部科学大臣賞
2014年 「水仙の章」で斎藤茂吉短歌文学賞、前川佐美雄賞
2018年 「ランプの精」で毎日芸術賞
2020年 現代歌人協会理事長就任
2022年 NHK短歌 選者
栗木さんは、大学卒業後に市役所に勤務しました。数年勤務した後に結婚、退職し、専業主婦となりました。
結婚して約二年半は歌作から離れていましたが、長男を出産後に体調を崩してしまいます。その時に、大学時代の恩師で、結社「塔」の主宰であり、大学時代の恩師である、高安国世氏に声をかけてもらったことがきっかけで、歌を再開しました。
京都大学の理学部を卒業しているのに、市役所に勤務とは、少し意外な気がしますね。専門性を生かした企業ではなく、市役所を選んだというところには、学生時代の挫折が関係しているのかもしれません。
理系の大学を卒業しながらも、文学の世界で花開くとは、人生は本当にわからないものですね。栗木さんの場合は、理系に進んでいなければ、短歌に魅せられることはなかったのかもしれない、そう思うと人生には無駄なものはひとつもないのだと思えます。
栗木京子のあの「観覧車」の歌が生まれた背景とは?
理系の学部に在籍しながら、短歌という文学に心を寄せていった栗木さんんの心の中はどのようなものだったのでしょうか。
当時、化学の授業についていけずに大学を中退しようかどうしようかと悩んでいた時、ふと目にした結社「コスモス」の冊子。短歌という31文字の中に自分の内面を込める、その作業は栗木さんを魅了します。10首、20首、とあふれる歌の数々。
短歌を初めてまもなく、「二十歳の譜」で新人賞・角川短歌賞の次席となります。
その中に、中学校の教科書にも採られている、あの有名な歌があります。
「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)」
観覧車に乗るカップルを描いた歌です。あなたにとってはたった一日の思い出かもしれないけれど、私にとっては一生の思い出よ。というような青春の歌ですね。
この頃の栗木さんは、理系学生らしい専門用語を用いた歌や、当時さかんだった学生運動を題材にした歌を多く読んでいます。
青春真っ只中の、等身大の栗木さんがそこに表現されているのです。挫折感に押しつぶされそうな心、淡い思い出、色とりどりの日常を表現するのに短歌という手法は栗木さんにとって、なくてはならないものだったのでしょうね。
栗木京子はどんな人か。夫と生い立ち。「観覧車」の歌についてのまとめ
栗木京子さんのまとめです。
- 大学の授業についてゆけず挫折を味わっている時に短歌に出会う
- 宮中歌会始の儀の召人を務める、女性初 現代歌人協会の理事長就任
- 夫についての詳細は公開されておらずベールに包まれています
- 京都大学卒業後、市役所勤務。退職し、専業主婦に。
- 恩師 高安国世氏の勧めで歌作を再開
- 短歌を始めてすぐに「二十歳の譜」で新人賞・角川短歌賞次席に選ばれる
- 中学の教科書に採用「観覧車よ回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)」
女性の歌人で一世を風靡した俵万智さん。俵万智さんも、栗木京子さん同様に、芯の強さを感じます。俵万智さんはこちらの記事で紹介していますので、合わせて読んでみてくださいね。
短歌と出会って80年。90歳を越えた今なお、歌人として活躍しつづける馬場あき子さん。
その生涯は短歌と共にあります。
馬場あき子さんの記事はこちらです。
ぜひお立ち寄りくださいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、またお会いしましょう!
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