佐佐木幸綱の代表作は?家系は国学者?その人柄は?「のぼり坂」の秘密とは?

短歌・俳句

こんにちは。日本の文化調査隊の美緒です。

ご訪問ありがとうございます!

今回は、歌人の佐佐木幸綱さんをご紹介します。

歌の秘密に「佐佐木」の謎。佐佐木幸綱さんについての入門編です。

まずはこちらの話題からどうぞ!




佐佐木幸綱の代表作「セロリ」とはどんな歌?

佐佐木幸綱さんの代表作といえば、「セロリ」ですね。

 

「サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず」

これは合同歌集「男魂歌」に収められている歌です。

噛むたびに「サキサキ」と音をたてる瑞々しいセロリ。
セロリから溢れるたっぷりの水分と清涼感のある香りに包まれて、無邪気に食べている彼女を微笑ましく、愛おしく眺めている男性の姿が印象的に描かれていますね。
彼女はセロリが大好きなのか、それとも、筋っぽいセロリを一生懸命、夢中になって噛んでいるのか。
食べている時、人間は無防備になるといいますから、その食べている様子から、彼女が男性に心を許していることにさらに彼女への愛情が深まっていく、そんな歌のように感じます。

もういちど。

「サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず」

やはり、この歌の印象的な部分はセロリの食感を「サキサキ」と表現しているところですね。

「シャキシャキ」ではなく「サキサキ」

こうすることで、瑞々しく、そして、繊維質であることが想像できます。

どのようなオノマトペを入れるか、そこに歌人の個性が表されていますね。



佐佐木幸綱の家系は驚くべき国学者の家系だった!その生い立ちに迫る!

佐佐木幸綱さんは、歌人で国学者である曾祖父の佐々木弘綱氏から代々続く国学者の家系に生まれました。そのご家族を紹介します。

曾祖父 佐々木弘綱 歌人 国学者

祖父  佐佐木信綱 歌人 国学者 文化勲章受章者

父   佐佐木治綱 歌人 国学者

母   佐佐木由幾 歌人

妻   佐佐木朋子 歌人

長男  佐佐木頼綱 歌人

次男  佐佐木定綱 歌人

ちなみに、「佐々木」を「佐佐木」としているのは、祖父の信綱が中国を訪れた時、中国には「々」の字がないのを知り、それ以降「佐佐木」と表記することにしたそうで、幸綱さんも息子さんふたりもそれに倣っています。

曾祖父から続く歌人・国学者という血筋。
これは、DNAの中になにか特別なものが流れているのか、それとも、環境が作りだしているのか、どちらなのでしょう。

祖父の信綱さんは父に習い5歳から作歌したというから、やはり、環境による影響は大きいのかもしれませんね。
好き嫌いに関わらず、短歌や文学というものが日常の中に普通に存在していて、知らず内に体の中に蓄積しているのかもしれませんし、一番近くに先生がいるわけですから、上達したいと思えば、いくらでも上達できる環境は整っているということはいえますね。

とはいえ、「佐佐木〇綱」を名乗るには相当なプレッシャーもあるはずです。
世間からは、「できて当たり前」という風に見られている、そんな目を感じながら、歌人としてたつことは相当な覚悟が必要なのでは、と想像してしまいます。

では、ここで、佐佐木幸綱さんのプロフィールをみてみましょう。

本名:佐々木幸綱

生年月日:1938年10月8日

出身地:東京都千代田区神田

最終学歴:早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了

経歴

1958年 20歳の時 父 治綱が50歳の若さで急逝した時 短歌を始める

1959年 早稲田大学第一文学部に入学 早大短歌会に入会 寺山修司を知る

1966年 早稲田大学大学院修士課程修了 河出書房新社に入社

1969年 「文藝」の編集長を務め三島由紀夫を担当した後、退社

1971年 歌集「群黎(ぐんれい)」で現代歌人協会賞受賞

1974年 「心の花」編集長に就任

1984年 早稲田大学政治経済学部助教授に就任

1987年 同教授に就任

2002年 紫綬褒章受章

2008年 祖父と同じ日本芸術院会員となる

2009年 早大教授を定年退任

2022年 旭日中綬章受章

これまでに発表した8つの歌集で様々な賞を受賞し、現代短歌界を代表する歌人のひとりであることは間違いがありません。

曾祖父からつながるその血は二人の息子にも受け継がれ、そして、さらに次の世代へと繋がっていくことになるりますね。



佐佐木幸綱の人柄や性格、その人生が影響したものとは?

佐佐木幸綱さんの人柄についてご紹介します。

佐佐木幸綱さんは若い頃は、ラグビーやボクシングに熱中し、その身体的なパワーはそのまま作風にあらわれ「男歌」といわれるほど、「男」あふれるものとなっています。

 

ラグビーに関する歌も詠んでいるのですよ。

自身は歌人の血を濃く受け継いでいながらも、二人の息子にそれを強制することはしませんでした。実際に、頼綱さんも定綱さんも大学時代までは歌を作っていませんでした。
やりたくなったらやればいい、そんな風にどっしりと構えていたのかもしれませんね。

佐佐木幸綱さんといえば、教え子である俵万智さんですね。

俵万智さんが衝撃を受けた、早稲田大学の佐佐木幸綱教授の授業。俵万智さんのその時の一言はあまりにも有名です。

「“寺山修司が亡くなったので今日はテキストを使わず寺山の話をします”と言って盟友でもあった歌人・劇作家の寺山修司を熱く語る姿がカッコよく、引き込まれました」

俵万智さんが衝撃を受け、佐佐木幸綱さんのファンになり、短歌の道に進んでいくきっかけとなったこの授業。どれほどの熱量がそそがれていたのでしょうか。
二人の息子に「綱」の字をつけたのは、寺山修司がそう言ったから、という話が残っています。
佐佐木幸綱さんと寺山修司さん、ふたりの関係はそれほどまでに親密なものだったといえますね。



佐佐木幸綱の「のぼり坂」とはどんな歌?歌集「金色の獅子」とは?

「のぼり坂のペダルを踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ」

この歌は、1989年の歌集「金色(こんじき)の獅子(しし)」にこの歌は収められています。

この歌には「五月十四日(土)頼綱へ」という詞書(ことばがき)がついています。
つまり、長男の頼綱さんのことを詠んだ歌ということになります。

 

ペダルを漕ぎつつ「まっすぐ?」と聞くのは頼綱さん。

そうだ、どんどんのぼれ と声に出してか、それとも、心の中でか、そう答える幸綱さん。

ぐんぐんと成長する子どもを誇らしく、まぶしく、後ろから見守る父の姿がみえますね。

一方で成長する子ども、老いる親、といった対比も見え隠れします。それは、この歌集が受賞した詩歌文学館賞での、幸綱さんのコメントからみることができます。

平和な時代の男、長寿の時代の中年という、どこか間の抜けた役割を生きる者が、子供の世代にどう見えるか。かつて、戦争の時代の男として父を見た幼年時の記憶、五十歳で没した父の思い出を鮮明にしている昨今です。

(引用元:1990年詩歌文学館賞 受賞のことば)

「金色の獅子」の中には家族を歌ったものが多数収められていますので、いくつかご紹介します。

「父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色(こんじき)の獅子とうつれよ」

「肩車して多摩川の瀬を渡る春の父と子否祖父と父」

「桃の実の小さき五月十九日われに二人目の男(お)の子来たりぬ」

どれも幸綱さんが生きている家族を温かなぬくもりとともに歌っています。
幸綱さんという人の温度が伝わる歌ですね。



佐佐木幸綱「セロリ」の歌。家系にみる人柄と「のぼり坂」の秘密についてのまとめ

今回は、歌人の佐佐木幸綱さんをご紹介しました。いかがでしたか。

由緒正しき歌人の家系にうまれ、次の世代を育てている佐佐木幸綱さん。

息子ふたりに渡されたバトンがつぎにつながることを願っています。

 

佐佐木幸綱さんの教え子であり、現代の短歌界になくてはならない存在である俵万智さん。
俵万智さんの短歌はこちらでご紹介しています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

それでは、またお会いしましょう!



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