穂村弘は何してる人?短歌は?プロフィールや経歴は?結婚相手はだれ?

短歌・俳句

穂村弘(ほむらひろし)さんは、雑誌などで活躍している歌人です。

特徴的なメガネをかけて、少しミステリアスな雰囲気をお持ちの穂村弘さんは、どんな人なのでしょうか。

穂村弘さんの歌集について、また、プロフィールや経歴も交えてご紹介します。




穂村弘は何してる人?

穂村弘さんは、歌人です。

絵本の翻訳家、エッセイスト、書評家としても活躍していて、たくさんの本を執筆しています。

その一部をご紹介します。(いずれも2024年7月現在)
・歌集は5冊
・絵本の翻訳26冊
・エッセイは17冊

 

出版されている種類から見ると、歌人というよりはむしろ翻訳家なのでは?と私は思ってしまいました。

穂村弘さんが物書きとして世に認められたのは、1986年の角川短歌賞。

そこをきっかけとして、会社員の傍ら、穂村弘さんは執筆作業をしていきました。
その中で、活動の範囲が色んなジャンルに広がっていったのではないか、と私は推測しました。

実際、短歌を題材にした絵本を手掛けたり、短歌についての書籍や対談もたくさんありますので、やはり、穂村弘さんの職業は「歌人」というのが一番しっくりくる気がします。


穂村弘の短歌はどんな評価?

穂村弘さんの短歌が、初めて世の中に認められたのは、大学在学中に発表した、連作「シンジケート」ですね。

これは、1986年 第32回角川短歌賞 次席になっています。

ちなみに、この時、短歌賞を受賞したのが俵万智さんの「八月の朝」でした。

その後、長年に渡って活躍する歌人が二人も選出されるとは、豊作の年だったのですね!

角川短歌賞とは・・・
新人歌人の登竜門としてしられています。高校の国語教師だった俵万智さんや、現役高校生だった小島なおさんも受賞しています。
1990年には、第一歌集「シンジケート」を刊行するのですが、その時の周囲の歌人の評価はものすごいものでした。
そのうちのいくつかをご紹介します。
同じ人間の作ったものがわからんはずはないと心を奮い立たせるのだが、力めば力むほどチンプンカンプンでまったく歯が立たぬ
石田比呂志
俵万智が300万部売れたのなら、これは3億冊売れてもおかしくないのに売れなかった。みんなわかってないね。
高橋源一郎
歌人仲間から、どれだけ高い評価を受けていたかわかりますね。
この時、自費で出版された「シンジケート」は、2021年5月に講談社より出版されました。
穂村弘さんの歌が、多くの人に受け入れられるようになったのですね。
この歌集の中で私が特に好きな歌はをご紹介しましょう。
終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
夜遅い時間の最終バス。疲れて寄り添って眠っているふたりが乗っているバスでは、乗客が下りるたびに、バス中のすべての<降りますランプ>が紫色にギラギラと光っています。眠っている二人の静寂とランプのギラギラ感の対比が印象的だと、私は思いました。



穂村弘のプロフィールは?

穂村弘さんのプロフィールをご紹介しましょう。

名前 穂村弘(ほむら ひろし)
生年月日 1962年5月21日
出身地 北海道札幌市
最終学歴 上智大学文学部英文学科
兄弟 なし

穂村弘さんは、北海道で生まれますが、建設会社に勤めていた父親の仕事の関係で、たくさん引っ越しをしています。そのたびに、学校も変わっているので、お友だち作りが大変だったのでは、と私は想像してしまいました。

どのくらい引っ越し&転校しているのか、まとめてみました。
・2歳の時に、神奈川県相模原市に引っ越し
・1969年4月 相模原市立相模台小学校に入学
・1972年 横浜市立瀬谷小学校に転校
・1973年 名古屋市立鶴舞小学校に転校
・小学5年生から高校卒業まで、愛知県名古屋市昭和区で過ごす

 

高校卒業後の1981年に、北海道大学文Ⅰ系に入学しますが、一年生のときに退学。
一年間の浪人生活を経て、1983に上智大学文学部英文学科に入学しなおし、4年後に卒業しています。

現在では、翻訳なども手掛けていますので、大学で学んだことが生かせている、ということですね。


穂村弘の経歴は?

短歌受賞歴などをご紹介しましょう。

1986年 連作「シンジケート」で第32回角川短歌賞 次席。

この時の受賞者は俵万智。

2008年5月 伊藤整文学賞評論部門 受賞
2008年9月 第43回短歌研究賞 受賞

アルス・エレクトロニカ インタラクティブ部門栄誉賞 受賞

2013年 第4回ようちえん絵本大賞特別賞 受賞
2017年 第33回講談社エッセイ賞 受賞
2018年 第23回若山牧水賞 受賞

穂村弘さんは歌人ですが、短歌だけでなく、エッセイや絵本の分野でも賞を受賞しているのですね。

とっても多才な方ですね。

短歌は31文字、ととても短い文学ですが、その31文字にまとめるためにはストーリーがあります。

穂村弘さんは、短くまとめることも、そして、長くまとめることもできる能力に長けてるのだと、私は思いました。

文才がある、ということなのでしょうね。


穂村弘の結婚相手はだれ?結婚のきっかけは?

穂村弘さんの結婚相手の詳細は明らかにはなっていません

穂村弘さんの結婚についてわかっていることを以下にまとめました。

・穂村弘さんが結婚したのは、穂村弘さんが42歳の時
・穂村弘さんの結婚のきっかけは、会社の健康診断で、穂村弘さんが緑内障を患っていることがわかり、当時付き合っていた彼女に打ち明けたところ「じゃ、結婚しようか」と言ってくれた

 

結婚を決めた当時、穂村弘さんは、それまで17年間に渡って働いていたIT系の会社を辞める決意をしていました。

それも「緑内障」によるのですが。

緑内障という病気は、不治の病です。それに命を奪われることはありませんが、「失明」の恐れのある病気です。

目が見えなくなるかも。

この現実を突きつけられた穂村弘さんは、「物書きになる」という夢を実現することにしました。

会社員をしながら、短歌を発表したり、エッセイを書いたりと、二足の草鞋を履いていた穂村弘さんでしたが、「緑内障」という病を得て、書くことができなくなるかもしれない、という現実をみて、「書く」ことに専念することにしたのです。

この時すでに、「書く」仕事で、会社員と同じくらいの収入を得ていたのですから、独立することに対して、多少の心の余裕はあったのでは、と私は想像しました。

 

穂村弘さんの、この状況をまるごと全部受け止めた奥さまは、とっても包容力のある方ですね。

今、穂村弘さんが歌人として活躍しているのをしっかりと支えていらっしゃるのが、素敵だなぁ、と私は思いました。


穂村弘のまとめ

・穂村弘さんは歌人です。エッセイストであり、翻訳家でもあります。

・穂村弘さんは、1986年 角川短歌賞 次席でした。

・穂村弘さんは、北海道札幌市出身です。

・穂村弘さんは、短歌以外に、エッセイや絵本の分野でも賞を受賞しています。

・穂村弘さんは、「緑内障」を患ったことがきっかけで結婚しました。

 

穂村弘さんと同じ年に角川短歌賞を受賞した俵万智さんについては、こちらでご紹介しています。

合わせてお読みくださいね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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