落語家の林家たい平さんは22歳の時に林家こん平に弟子入りし、落語家の道を歩み始めました。
今ではタレントとしてお馴染みですが、古き良き日本の情景を題材にした古典落語の師匠としても活躍しています。
しかし、もともとは美術教師を目指して名門・武蔵野美術大学に入学したというたい平。
そんな彼が落語家を目指すようになったきっかけは何だったのか。
今回は、そんなたい平のひたむきな落語愛に迫りながら、林家たい平の弟子や師匠、修業時代はどうだったのかを紹介します。
林家たい平の一番弟子は誰?
林家あずみさん(女性)は、林家たい平さんの一番弟子。三味線で唄い語りする三味線芸人です。
ニッポン放送の生リポーターを8年間務めました。
現在は寄席や落語会などで活躍中です。あじかんごぼう茶を12年以上毎日飲んでいるという熱狂的なファンでもあるのです。
三味線漫談家 林家あずみ ふつくすい pic.twitter.com/pfyGqn3VOm
— 日の丸旗の介🎌 (@craftviolin333) February 4, 2023
林家あずみさんのプロフィールをご紹介します。
本名 | 正木 安曇(まさき あずみ) |
生年月日 | 1981年4月24日(2024年現在 43歳) |
出身地 | 京都府京都市伏見区生まれ |
出身学校 | 京都市立日吉ヶ丘高等学校卒業 |
京都府京都市伏見区生まれの林家あずみさんは、京都市立日吉ヶ丘高等学校を卒業しています。
林家あずみさんは、高校卒業後は、地元の和菓子メーカーに勤務。スイミングスクールで4年間講師を務めた経験もあります。そして、タレントを目指して25歳で上京。
和菓子メーカーからスイミングスクールの講師に転職、というだけでも、とてもバイタリティーのありそうな人だなぁ、と私は想像してしまいました。
上京後、林家あずみさんは、『恋のから騒ぎ』9期生として半年間テレビ出演した後、太田プロダクションに所属となりました。そこでは、タレントとしてバラエティ番組のアシスタントやリポーターを務めます。
その後、林家あずみさんは、エルファクトリーに移籍し、ニッポン放送のラジオ番組『テリー伊藤のってけラジオ』でリポーターを務め、タレントとして上田育代との写真集を発売しました。
芸能界は、そこで成果をだすのはとても大変なのではないか、と私は思いますが、林家あずみさんは、タレントとしても順調に仕事を続けてこられたのですね。すごいです。
2008年2月6日から2010年6月25日まで『テリーとたい平のってけラジオ』でリポーターを務め、落語家の林家たい平と知り合います。
そして、2010年6月、林家たい平に弟子入りしました。長唄三味線を杵屋長勝之に、端唄・小唄・俗曲・三味線を花木やよいに師事。
私には、長唄三味線や端唄・小唄・俗曲・三味線と言われても、それらの違いがよくわかりません。おそらく難しいんでしょうね。
林家あずみさんは、声も通りますし、明るい雰囲気をもっているので、場が明るくなる感じがして、私にとって好きな芸人さんのひとりです。
林家あずみさんの経歴をまとめました。
・2010年9月、「林家あずみ」の名で寄席で前座修行をスタート。
・2014年2月1日、鈴本演芸場二月上席にて落語協会より正式弟子として初お目見え。
・2019年9月から2020年3月までワタナベエンターテインメントに所属。
・2020年4月よりフリーとして活動。
三味線漫才のほか、三味線を持ち怪談などにも積極的に取り組んでいます。
私が思いますに、林家たい平の弟子入りの前にいろんなことを経験されたんだなあ、何でもやってやろうと苦労されているのですね。
林家たい平の二番弟子は誰?
人気テレビ番組「笑点」の舞台で連日観客を沸かせている林家たい平師匠の二番弟子は息子のさく平さんです。
林家さく平さんのプロフィールをご紹介します。
本名 | 田鹿咲太朗(たじか・さくたろう) |
出身地 | 東京都中野区 |
生年月日 | 1997年1月5日 |
出身大学 | 2019年、立教大学法学部卒業 |
落語は人に元気を与える仕事です。
林家たい平師匠と林家さく平さんは、落語家の師匠と弟子であり、実生活でも親子です。
林家さく平さんはこう説明します。
と林家さく平さんは、林家たい平さんに頼んで、快諾されたというのです。
林家たい平さんは次のように語っています。
“師匠と弟子”“父と子”という関係、落語に描かれた父と子の愛情、二人の間に流れた時間は計り知れないと私は思います。
特に、親子であって、仕事が師匠と弟子、となると、いろいろな難しさがあるのでは?と私は想像してしまいます。
ただ、父である林家たい平さんにとっては、自分の仕事を継いでくれる、後継ぎができて、嬉しい面もあるかもしれませんね。
林家たい平の師匠は誰?
林家たい平の師匠は、林家こん平です。
月曜日おつかれうりぃ🐷
柏崎市は早朝地震ありましたが、
その後余震なしε-(´∀`*)ホッ
改めて防災の大切さ痛感です。。さて今日は落語の日
越後が生んだスター☆
林家こん平師匠の噺を聴こうかな。本日もありがとうり🐖🐖🐖✨#企業公式がお疲れ様を言い合う pic.twitter.com/EXIFsYUMFZ
— 【公式】シャリテ花はな🌸🌷介護保険施設 (@charitewaon) June 3, 2024
林家こん平さんのプロフィールをご紹介します。
本名 | 笠井 光男 |
出身地 | 新潟県刈羽郡千谷沢村 |
身長・体重 | 不明 |
血液型 | A型 |
出身大学 | 不明 |
林家こん平さんは、笑点の放送当初から大喜利メンバーでしたが、体調不良のため1年間休職し、その後降板しました。その後、弟子の林家たい平が数回出演した後、後任となりました。
林家こん平さんは、初代林家三平に師事。当時、初代三平は二ツ目であり、弟子を取ることはできなかったのですが、米俵を担いで弟子入りしたこん平の熱意に説得されたのです。
この時、林家こん平さんはすでに5人目の弟子だったといいます。
「こん平」という名前は、弟子入りした当初は痩せていて顔がキツネに似ていたことと、初代三平師匠の妻・海老名香代子とこん平の女将がきつねうどんを食べていた時に思いついたことから付けられました。
名つけというのは、どの業界でも重要で、その名前次第で成功するかしないかが決まると言われていますね。
林家こん平さんは、二ツ目時代から『笑点』をはじめテレビやラジオに出演。『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ)では脚本家を務めたことでも知られていますね。
兄・珍平が俳優となり落語界を引退した後は、三平流の門下生となり、初代三平が54歳で逝去した後は、林家こん平さんが流派を継いだのです。
林家こん平さんは、実際は『笑点』や舞台で見せた豪放磊落な性格ではなく、繊細な性格だったようです。
そのためストレス解消のために酒を大量に飲むことが多く、それが病気の原因の一つだったとも言われています。
林家たい平さんの師匠、林家こん平さんは激動の落語業界をまとめ上げた、傑出した才能を持ち合わせた人物だと私は思います。
林家たい平の修業時代は?
林家たい平さんは、「ラジオで五代目柳家小さんの『素朴長屋』を聞いて衝撃を受けました。
聴き終わると、優しく穏やかな気持ちになりました」と、師匠の芸が落語家への道を開いてくれたそうです。
林家たい平さんは、落語家になりたいという自分の気持ちを確かめるためにチャレンジしたことがあります。
その後、林家たい平さんは、林家こん平師匠の門を叩き、初代林家三平の家に住み込みで弟子入り生活を始めました。
林家たい平さんが落語家を目指したのは、現在のように落語ブームの時代ではなかったのです。
落語家を目指す人は少なかったのですよね。
林家たい平さんも、「落語家になりたい」という自分の気持ちを、もっと確かなものにしたかったのですね。
そのための、いわば「武者修行」を自ら行った林家たい平さんは、それだけでもとても根性のある人だなぁ、と、すでに落語家として成功する素質はあるのではないか、と私は思いました。
「掃除も洗濯はあってもお小遣いはなく、365日休みもなく、最初の1年間はお笑いホールにも行かなかった」と、想像を絶する過酷な修行時代の話に、私は驚かせられました。
弟子として認められたのは、それから1年後のことだったのです。
「これからアジアの時代というショーに出るから、“林家チャイニーズ・タイヘイ(ペイ)”に改名したんです。女将さんがチャイニーズの部分はとってくれたんですけど、タイヘイの名前はそのままにしました」と名前が決まった経緯を告白。
「でも、三平とこん平だから丸をつけて“ペイ”にしたんです。うちの流儀では丸がつく名前を使うんですよ。成功すると思って」と師匠からの愛情たっぷりの命名のエピソードも披露しています。
勘当されたと思っていた実父との感動エピソードも披露!落語で生きるタイヘイの世界が爆発した時代だったと私は思います。
林家たい平のまとめ
林家たい平さんのことをまとめました。
・林家たい平の一番弟子は林家あずみさん(女性)で、三味線で唄い語りする三味線芸人です。
・林家たい平の二番弟子は林家さく平で、息子さんです。親子鷹ですね。
・林家たい平さんの師匠は林家こん平さんで、激動の落語業界をまとめ上げた傑出した才能を持ち合わせた人物です。
・林家たい平さんの想像を絶する過酷な修行時代の話には驚かせられますが、これが今のたい平さんの人となりを形成しているのでしょうね。
林家たい平さんを家庭で支えてきた奥さんはどんな人なのでしょうか。
こちらでご紹介していますよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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