日本で最も有名な歌人である俵万智(たわら まち)さん。
短歌を知らない人でもその名前だけは知っていますね。
『サラダ記念日』はあまりに有名です。
俵万智さんが2024年4月より、NHK短歌の選者として毎月一回、出演することになり、小躍りしている俵万智ファンは多いことでしょう。
さらにさらに!
大河ドラマ「光る君へ」とコラボした内容なので、「光る君へ」ファンにとっても楽しみがひとつ増えましたね!
歌人として有名な俵万智さんですが、一方で、プライベートは謎に包まれている部分もあります。
こちらのブログでは、俵万智さんの結婚や夫、息子について、その真実に迫りました。
俵万智さんを愛するすべての人に、そして、俵万智さんを知りたいすべての人に、捧げます。
俵万智はいつ結婚した?離婚してるの?夫はだれ?
俵万智さんは結婚していません。なので、離婚もしていません。(当たり前!)
2003年、俵万智さんが40歳の時に男児を出産していますが、人工授精で男児を授かったと、ご本人が明らかにされています。
その時に次のようなコメントを出していました。
シングルマザーとして子供を育てるという決意は大変なものだと思いますが、俵万智さんの結婚観が垣間見えるインタビューがあります。
結婚をせずに子供を育ててもいい。みんなが、両親と子供という一つのモデルを目指す時代ではない。家族にはいろんな形があっていい。
(引用:四国新聞社)
中央教育審議会の委員を務めていた時にこのように発言した俵万智さんは、自らの家族の形を模索した結果、シングルマザーという形になったということなのですね。
出産当時、世間では、「父親はだれ?」と話題になりましたね。
父親、つまり、俵万智さんの夫の候補として二人の存在がクローズアップされています。
俵万智の夫はだれ?
夫候補:1人目はカメラマン
2006年に出版された、小説「トリアングル」に出てくるカメラマンが父親なのでは?
と世間は大変に騒ぎましたね。
なぜなら、その小説では、不倫や三角関係などの描写が生々しく描かれていて、まるで筆者である俵万智さんの体験談のよう、などと言われていたのですよね。
ただ、小説は小説であり、そして、短歌は短歌であり、事実や体験をそのまま表現している、とは限りません。
「生々しい体験談のよう」と読者に思わせる技術が、俵万智さんにはあるということなのだと私は思います。
夫候補:2人目は佐佐木幸綱
佐佐木幸綱さんは、俵万智さんの師匠ですね。
早稲田大学在学中に、佐佐木幸綱さんの講義を受けてファンになった俵万智さんは、佐佐木幸綱さんに何度も手紙などを送り、自身の存在をアピールしたというエピソードがあります。
佐佐木幸綱さんの影響で短歌を始めた俵万智さんは、その後、佐佐木幸綱さんが代表を務める、結社「心の花」の会員になっています。
1997年に出版された歌集『チョコレート革命』は不倫を思わせる歌が多数収められていて話題になったこともあり、佐佐木幸綱さんとの仲を疑う人もたくさんいたのは事実ですね。
でも、佐佐木幸綱さんが父親である、という事実は確認できていないのが現状です。
「誰か」が父親であることは間違いないですが、それが公けになる可能性は極めて低いと思われます。
なぜなら。
真実を知っているのは俵万智さんご本人のみであり、俵万智さんが語らない限り、語られないからです。
俵万智の息子の大学はどこ?
俵万智さんの息子は、東京の大学に進学しています。
どこの大学か大学名までは公表されていませんでしたので、推測してみました。
匠見さんは、
「総合型選抜」で合格した
(引用:AERA Kids)
と、俵万智さんがインタビューで答えていますので、東京の大学で総合型選抜試験を行っていて、令和3年度の進学先一覧に記載されている大学を調べると、以下の大学が該当しました。
・慶應義塾大学 環境情報学部 環境情報学科
・東京理科大学 理工学部 建築学科
・東海大学 文理融合学部 地域社会学科
・明治大学 工学部 建築学科
・芝浦工業大学 工学部 建築学科
これらのいずれかということになりそうですね。
息子さんは、言語学とAIに興味がある、という情報もありますので、慶應義塾大学か東海大学でしょうか。
俵万智さんのように、「歌人になる」ということではなさそうですね。
俵万智の息子の名前は?生い立ちは?
2003年に生まれた、俵万智さんの息子さんの名前は、「匠見(たくみ)」さんです。
2006年からは、宮城県仙台市で、俵万智さんのご両親の助けも借りながら、暮らしていましたが、2011年の東日本大震災をきっかけに、石垣島に移住しました。
匠見さんが通っていた小学校は、生徒数13人。
大自然に囲まれた中でたくましく育っていきました。
中学からは、宮崎県内にある、全寮制の男女共学の中高一貫校「宮崎県立五ヶ瀬中等学校」へと進学しました。
山の中にある全寮制の学校。
親元を離れて寮生活するなんて、心細い感じがしますが、「絶対、この学校に入りたい!」と匠見さんに思わせる、魅力のある学校だったのですね。
進学をしてからしばらくはホームシックになった匠見さんと俵万智さんですが、俵万智さんは毎日毎日ハガキを息子さんに出し続けました。
なんと、6年間毎日!
電話すればいいのでは?
と思いますよね。
なんとこの学校は携帯電話の持ち込みが不可だったのです。
電話するには公衆電話を使わなければならない、という徹底ぶり。
外部との接触が簡単にはできない環境は13歳の子供にとっては過酷だったことが想像できますね。
乗り越えなければならないことがたくさんあったことでしょう。それは親も同じ!
想像するだけで、胸がいっぱいになってしまいます。
大学進学については、学校選びから志望校の決定まで、全部匠見さんがひとりで行いました。
13歳で親元を離れ、自立心がしっかりとついた証ですね。
石垣島での生活や寮で過ごした中高時代の経験が息子の自立心を育み、それが大学入試の結果に少なからず影響を与えたかもしれない。
(引用:AERA Kids)
俵万智さんもこのように語っています。
東京で息子を生んだ俵万智さんは、息子を思い仙台に移り、息子を思い石垣島に移り、息子を思い宮崎へ移りました。
俵万智さんの深い愛情の中で、息子さんは成長していったのですね。
俵万智の生い立ちは?出身地は?今はどこにいるの?
俵万智さんのプロフィールをご紹介します。
本名:俵万智
生年月日:1962年12月31日
出身地:大阪府北河内郡門真町(現 門真市)生まれ
四条畷市(しじょうなわてし)、福井県武生市(現 越前市)で育つ
出身大学:早稲田大学第一文学部
職歴:神奈川県立橋本高等学校 国語教師
その他:結社「心の花」所属(大学在学中に、結社主宰であり教授の佐佐木幸綱に師事)
父は希土類磁石研究者 俵好夫
(引用元:Wikipedia)
高校時代は演劇部に所属、大学時代にはアナウンス研究会に所属していました。(同期にはフジテレビアナウンサーの軽部真一さんがいます)
「表現したい」「表現する」ことに強い興味を持っていた方なのですね。
そして、短歌と出逢い、表現したいことを表現する術を身につけていきます。
俵万智さんにとって、希望や願望を実現する、形にする、ということは自然の流れなのかもしれません。
世の中の多くの人は、「こうしたいなぁ」と願っているだけで、行動に移すことはなかなかしません。「思いを言葉にする」ことは、「願いを形にする」ことと何か関係があるかもしれないと私は思います。
1989年には4年間務めた橋本高校を退職、歌人としての道を歩き始めます。
子育てが一段落し、2022年9月には俵万智さんはご両親の近くに住んで介護をするため、再び宮城県仙台市へ移住しています。
またしても、息子さんとは離れて暮らしている、ということですね。
それにしても、1987年に出版された『サラダ記念日』は累計発行部数280万部を超える大ベストセラーとなっていて、いまだにその人気はおとろえることを知りません。
#カムカムエヴリバディ に続き #世界一受けたい授業 でも😵 遅れて放送される地域に住んでいるのですが、楽しみが増えました💕 https://t.co/y8y5BNrPoa
— 俵万智 (@tawara_machi) March 6, 2022
短歌の世界に影響を与え、社会に影響を与えたことが評価されて、2023年には紫綬褒章を受章しました。
これからの俵万智さんの活躍にますます期待してしまいます。
俵万智の結婚、夫、息子、俵万智の生い立ちのまとめ
俵万智さんのまとめです。
- 俵万智さんの夫はわかっていません
- 俵万智さんは40歳で出産、シングルマザーとして生きることを決断
- 俵万智さんの息子は宮崎県立五ヶ瀬中等学校を卒業
- 俵万智さんの息子は東京の大学に進学
- 俵万智さんは早稲田大学在学中に短歌に出会う。佐佐木幸綱氏に師事
俵万智さんの代表作についてはこちらの記事で詳しくご紹介していますので、合わせて読んでみてくださいね。
俵万智さんが登場する番組「NHK短歌」については、一年かけて、こちらでまとめていきます。
どうぞお楽しみに!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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