一山本(いちやまもと)は、公務員から力士となった異色の経歴の持ち主です!
公務員という安定したお仕事を辞めて、相撲界入りをするには、相当の決意や思いがあったはずですよね。
そんな一山本が公務員になったいきさつ、公務員から力士になったワケ、すごく気になりますよね…。
一山本の四股名の由来、プロフィールや経歴も合わせて、詳しくご紹介をしていきます!
一山本は公務員だった!
一山本は、公務員から力士になった、唯一無二の力士です。
この公務員一山本大好き😝笑 pic.twitter.com/OfsxpR0qK6
— Ayuxxx (@ayupafu) May 9, 2024
一山本は、中央大学を卒業し、地元北海道福島町(ふくしまちょう)役場で公務員として、約1年間、働いていました。
一山本がインタビューで答えています。
「福島町の教育委員会で学校とのやりとりとかをしてました。一応パソコンに向かって仕事してました。」
(引用:中日スポーツ)
公務員として、パソコンに向かって仕事をしていたなんて、今の力士としての一山本の姿を見ていると、びっくりするような経歴ですね!
まわし姿もとても似合いますが、スーツ姿も似合っていたことでしょう。
・公務員になることは、もともと小学生の卒業文集に書いていた夢だった。
・大相撲に入って自分が通用する自信もなかったので、就職をする道を選んだ。
一山本にとって、公務員は憧れの職業だったのですね!
小学生から、公務員になるのが夢だなんて、はっきりとした将来のイメージを持った子だったのかなぁと私は思いました。
たしかに公務員は、安定した収入が将来的に約束されていたり、福利厚生も充実していますから、手堅く自分の人生の目標を立てていたのかもしれませんね。
一山本は、8歳から相撲を始めて、進学した中央大学でも相撲部に所属していました。
しかし、学生時代に相撲の全国大会に出場するも、とくに目立ったいい成績を残せなかったのです。
このことが、大相撲に入る自信がもてなかった要因になっていました。
相撲の全国大会に出るだけでも、すごいことだと私は思いますが、大相撲に入門してくる人たちは、全国大会でも、優勝や準優勝など、目立った成績を残している人も数多くいます。
さらには、相撲が盛んなモンゴルなど、海外からも、すごく強い人たちが力士になることを目指して日本にやってきます。
沢山の相撲が強い人たちが、大相撲に入門してきますが、その中から関取になれるのは、ほんの僅かな人のみという世界です。
大相撲に入ることに、自信がもてなかったこと、そして、公務員になるのが夢だったこともあり、一山本は、公務員として就職することを選んだのです。
一山本が力士になったワケは?
一山本が、力士になったワケは、3つあります。
・大相撲の新弟子検査の年齢が、25歳までに緩和されたタイミングだったから。
・中央大学相撲部のOB会長から、大相撲に入ることを勧められたから。
一山本は、中央大学を卒業した後、公務員として働きながら、相撲のコーチとして、相撲に携わった生活をしていました。
一山本が就職し働いていた福島町は、横綱の出身地ということで相撲が盛んな町でした。
福島町には、町内出身の横綱を記念して、「千代の山(ちよのやま)・千代の富士(ちよのふじ)記念館」があります。
ここで、一山本は子ども達に相撲のコーチをしていました。
公務員だった一山本は、コーチとして、子どもに相撲の指導をしながら、自分自身も選手として、2016年に国体に出場します。
そこで、個人16強の成績を残しますが、この大会で現在の欧勝竜(おうしょうりゅう)に負けてしまいます。
これは一山本にとって、相当悔しい出来事でした。力士としてもっと強くなりたい!と思わせてくれた出来事で、一山本にとって大きな人生の転機となったと、一山本は話しています。
「選手として、もうちょっとやりたいと思ったんです。ちょうど年齢制限の緩和というのもあって。もう1回、挑戦してみようと思えたんです。子ども達が頑張ってる姿を見てたら、まだ23歳だったんで、自分も頑張れるかなと思って。」
(引用:中日スポーツ)
一山本は、「相撲でもっと強くなりたい!大相撲に挑戦したい!」という自分の気持ちに気づいたのですね。
大相撲に入るには、新弟子検査を受ける必要がありますが、ちょうどその頃に、大相撲に入るための年齢が引き上げられたのです。
一山本にとって、とてもいいタイミングで制度の改正があったのです。
2016年9月は、新弟子検査を受ける年齢の制限が23歳未満から、25歳未満に変更された年でした。
つまり、年齢制限が緩和されたことで、大学卒業後に社会人を経て、大相撲に入ることが認められるようになったのです。
一山本が大相撲に挑戦したいなと考えていた時期に、ちょうど制度が変わったタイミングで、23歳の一山本も入門できるチャンスが巡ってきたのです!
この制度を利用して、一山本は、23歳と2か月で、新弟子検査に合格し、大相撲に入ります。
・尊富士(たけるふじ)がいます。
尊富士も、23歳を過ぎてから、大相撲に入った力士の一人なのですね。驚きです!
一山本や尊富士の活躍をみていると、この制度になって本当によかったと、私は思いました。
話をもどしまして、一山本が大相撲に入門しようとしたには、社会人相撲をしていた頃に、中央大学相撲部のOBの、元幕下・神光(しんこう)である村上光照(むらかみ みつあき)さんが熱烈に誘ったこともありました。
当時、村上さんは、中央大学相撲部のOB会長を務めていました。
一山本は、母校の先輩からの熱烈な大相撲へのオファーを受けて、大相撲への入門することに心が動かされたのです。
このように、一山本にとって大きな転機が、しかもタイミングもよくあったことが、大相撲への挑戦の要因だったと考えられます。
公務員の道を捨てて、大相撲の世界に飛び込むなんて、相当な覚悟がいる決断だったと思います。
そこで、大相撲に飛び込む決意をした一山本は、チャレンジ精神の溢れており、決断力も持ち合わせていたのですね!
一山本の四股名の由来は?
一山本の四股名の由来は、本名の「山本」からきています。
一山本の本名は、山本大生(だいき)です。
一山本が大相撲入門当時、四股名を「山本」にしようとしたら、すでに「山本」は使われていたので、使用することができませんでした。
山本は日本ではとても多い苗字ですものね…。
字画が、9画だと、縁起がいいということで、本名の「山本」に1画を足した字画で四股名を考えました。
その時に候補に出たのが、今の「一山本」と「乙山本(おつやまもと)」だったのです。(笑)
「乙山本」はないだろうと思ったそうで、「一山本」にしたと本人が笑いながら話していました。
一山本らしい、ユーモアの溢れるエピソードですね。
本名が四股名に入っているので、一山本が相撲で勝ち星が多くなると、新聞などでも取り上げられる機会が増えますよね。
四股名をよく耳にすることで、北海道に住む、一山本の家族も、新聞やテレビで一山本を見る機会が増えるのは、とても嬉しいことですね。
一山本のプロフィール
一山本のプロフィールをご紹介します。
四股名 | 一山本(いちやまもと) |
本名 | 山本 大生(やまもと だいき) |
生年月日 | 1993年10月1日 |
年齢 | 31歳(2024年11月現在) |
出身地 | 北海道岩内郡岩内町(いわないちょう) |
身長 | 188.0cm |
体重 | 150.0kg |
所属部屋 | 放駒部屋(はなれごまべや) |
得意技 | 突き、押し |
初土俵 | 2017年1月場所 |
新十両 | 2019年7月場所 |
新入幕 | 2021年7月場所 |
最高位 | 前頭7枚目 |
好きな力士 | 若隆景(わかたかかげ) |
相撲を始めた年齢 | 8歳 |
出身大学 | 中央大学 |
一山本は、中央大学の在学中には、相撲の全国大会にも出場し、次の成績を残しています。
・大学4年生時、全国学生相撲選手権大会で個人16強
中央大学といえば、学業でも有名ですが、野球や相撲などスポーツも盛んな大学です。
一山本は、まさに学業と相撲とを両立しながら、公務員になる夢を叶えるべく、文武両道で、一生懸命に努力してきたのですね。
一山本の同学年には、
・若元春(わかもとはる)
・朝乃山(あさのやま)がいます。
2人とも一山本ととても仲がよいのですよ。
一山本は、若隆景の大ファンとしても有名です!
一山本が自ら、大ファンであると公言しています!
兄の若元春と仲がよいので、弟の若隆景のグッズなどがもらえるように、話しをもちかけることもあると言っていました。(笑)
相当大好きな推しである若隆景への愛を表現していることが、一山本らしくて面白いですよね。
一山本の経歴
一山本の経歴をまとめました。
・大相撲への入門は、2016年9月場所。
・初土俵は、2017年1月場所。
・2017年3月場所では、7戦全勝で、序ノ口優勝をします。
いきなり全勝で優勝を経験するとは、1年前は公務員で働いていたことが考えられないですよね!
・新十両は、2019年7月場所。
(年齢制限が23歳から25歳に引きあがってからの制度で力士になった人の中では、一山本が初めての関取になりました!)
新しく十両になった場所では、9勝6敗と好成績を残します。入門から、約3年で関取になっています。
約3年で関取になるとは、一山本も家族も驚いたことと思いますが、同時にほっとしているかもしれませんね。
・新入幕は、2021年7月場所。
新入幕で、いきなり8勝7敗と勝ち越します。
十両から幕内に上がる際は、幕内の壁を感じる力士がいる中で、新入幕で勝ち越しとは、すごく強い力士だなと感じますよね。
・優勝歴…序ノ口優勝 1回(2017年3月場所)
十両優勝 2回(2021年11月場所、2023年9月場所)
・受賞歴…敢闘賞1回(2023年11月場所)
十両には、強い力士が沢山いますが、その中で、2度も優勝経験があるのですね。素晴らしい経歴だと思います。
一山本は、新入幕になった後に、1度十両に落ちた期間がありました。
しかし、2023年9月場所で、13勝2敗で十両優勝を果たし、さらには翌場所の11月場所の再入幕で、11勝4敗で敢闘賞を受賞しています。
十両優勝した勢いのまま幕内でも三賞を受賞するとは、再入幕で強烈な印象をもったことを、私も記憶しています。
一山本は、三役になる目標をインタビューで答えていました。
「最高位を更新していくっていうのを目標にして、最終的に三役を目指せれば」
(引用:中日スポーツ)
一山本は、「強くなりたい!番付をあげたい!」という気持ちを強く持っているのですね。目標を口にだすのは大切なことだと私は考えています。きっと、三役になってくれると思います。
ますます私も応援したくなりました!
一山本が大好きな若隆景と同じ幕内の土俵で、さらには上位の番付で対戦できるよう、これからもどんどん力をつけていってほしいな、と思います!
一山本のまとめ
・一山本は、小学生からの夢だった公務員の仕事をしていました。
・一山本が力士になったワケは、中央大学相撲部のOB会長、村上さんから誘われたこと、新弟子検査の年齢制限が緩和されたことが、きっかけです。
・一山本の四股名の由来は、本名の山本に1画足して、縁起のいい9画にしたことです。
一山本の経歴をみていると、公務員から力士になって活躍をするという前代未聞の新しい道を切り開いたことが、印象的ですね!
十両で優勝を2回も経験しており、実力もある強い力士です。
今後も幕内でも番付を上げてくることが期待されています!
一山本自身も、三役へと公言しているので、夢が叶うように、一山本を応援していきたいと思います!
一山本の父親と母親はどのような人なのでしょうか。こちらで詳しくご紹介しています。
お年頃の一山本ですが、結婚はしているのでしょうか。こちらで詳しくご紹介していますので、合わせてどうぞ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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