霧島の力士情報 ー出身、力士になったワケ、成績などー 霧島の全部をご紹介!

幕内力士

彫りの深い顔が印象的な霧島。

「霧馬山」と言った方がなじみがあるかもしれませんね。

 

新入幕から3年半で大関にまでなった実力と才能は誰もが認めています。

ポーカーフェイスの裏に秘めた、闘志みなぎる霧島の力士情報について、ご紹介します。

霧島の出身地やプロフィール、学歴や相撲を始めたきっかけ、そして、相撲界での成績など、霧島のすべてが分かります。




霧島の力士情報【出身などのプロフィール】

霧島の出身地など、プロフィールをご紹介します。

四股名 霧島鐵力(きりしま てつお)
前の四股名 霧馬山鐵力(きりばやま てつお)
本名 ビュンブチュルン・ハグワスレン
生年月日 1996年4月24日
年齢 28歳(2024年10月現在)
出身地 モンゴル ドルノドゥ県
国籍 モンゴル
身長 186㎝
体重 147kg
所属部屋 音羽山部屋
初土俵 2015年5月場所
新入幕 2020年1月場所
最高位 大関

 

モンゴル出身力士のほとんどは首都のウランバートル出身ですが、霧島はドルノドゥ県というところの出身です。

ドルノドゥ県は、ウランバートルから車で約8時間。東へ約600㎞の中国とロシアの国境近くに位置しています。

 

霧島の父は、遊牧民でゲルで生活していました。
そこで霧島少年がどんな生活を送っていたかというと。
・草原を馬で一日に30㎞移動
・家から数百メートル離れた水汲み場まで二日に一度、水を汲みに行っていた
・羊を飼育する父親の仕事を手伝っていた

 

この生活の中で自然と足腰は鍛えられていったのですね。

子供の時に体に刻み込まれた身体能力が今でも、土俵際の踏ん張りなどで発揮されています。

 

ところで。
ドルノドゥがどんなところなのか気になりますね。

 

霧島は故郷について次のように語っています。

自慢はやっぱり景色かな。星がきれいで有名なんです。夏の夜がとてもいい。草原の緑と空の青。風も通るしすごく気もちいいんですよ。

(引用:dmenuスポーツ)

私はモンゴルには行ったことはありませんが、モンゴルといえば、草原をイメージします。どこまでも続く草原に気持ちのいい風が吹いていて、頭上には大きな空が広がっている。

「開放的で気持ちのいい場所」というのが、私のモンゴルのイメージです。

 

霧島が描写している故郷はまさにそんな感じですね。そんなところで育った霧島にとって、日本の風景は少し窮屈に感じるかもしれませんね。


霧島の力士情報【学歴】

霧島の学歴をご紹介しましょう。

霧島は、ブフという、モンゴル相撲をやっていて、そのモンゴル相撲の腕を磨くために、ウランバートルにある高校へ進学しました。その後、アブラカ体育大学へ進学しました。

前出のとおり、霧島はドルノドゥ県出身ですので、600㎞離れたウランバートルで暮らすのは、とても大きな決断だったと思います。

 

600㎞がどれくらいの距離なのか、日本に置き換えてみると分かりやすいと思います。

東京から来たへ600㎞だと、秋田県秋田市や岩手県盛岡市あたり。

東京から西へ600㎞だと和歌山県和歌山市や徳島県徳島市あたり。

帰りたい、と思って簡単に帰れる距離ではないですね。

モンゴルは、日本みたいに鉄道網が張り巡らされているワケではないので、移動手段は車になります。ますます移動は簡単ではないことが想像できます。


霧島の力士情報【力士になったワケ】

モンゴルで生まれ育った霧島が、日本で力士になろうとしたのは、あるご縁がきっかけでした。

アブラカ体育大学の一年生だったころ、指導者から、日本で相撲取りになるためのテストを受けてみないか、と声をかけられたのです。

日本の相撲をした経験はありませんでしたが、軽い気持ちで霧島は日本へやってきました。

 

滞在したのは、陸奥部屋(みちのくべや)。モンゴルから、霧島を含めて5人が来日して、陸奥部屋で相撲の体験をしました。

当時の陸奥親方は、日本の強い力士を育てることを目標としていたため、モンゴル人を育てるつもりは全くありませんでした。

それでも、陸奥親方が霧島を弟子に迎え入れたのは、二つの理由があると私は考えています。

 

その1:霧島の発言に心を動かされた

親孝行がした。将来、両親を日本に呼びたい。

(引用:Wikipedia)

 

その2:霧島の才能を見出していた

5人の中で一番センスがあった

(引用:スポーツ報知 2018年8月18日付)

 

ブフというモンゴル相撲の経験、そして、柔道も強かった霧島でしたが、日本の相撲の経験は皆無だった霧島。

陸奥親方は、その霧島の中に小さい才能の種を見つけていました。

 

霧島は、入門後に通った相撲教習所で、学生相撲出身の宇良などと互角に戦っていたといいます。

持ち前の運動神経の良さ、相撲のセンス、そして、稽古量の多さ、それが、霧島を幕内力士へと、そして、三役力士へと押し上げていった理由ですね。

次の章では、霧島の相撲界に入門してからの成績をご紹介します。


霧島の力士情報【成績】

霧島は、入門当時将来を期待されていた力士でした。

その足跡を辿ってみました。

 

2015年5月場所:初土俵
2015年7月場所:序ノ口勝ち越し
2015年9月場所:序二段勝ち越し
2015年11月場所:三段目 全勝優勝
2016年1月場所~2019年1月場所:幕下と三段目を行ったり来たり
2016年3月場所:新十両昇進
2020年1月場所:新入幕、11勝で勝ち越し、敢闘賞受賞
2021年11月場所:三役の新小結昇進
2023年3月場所:関脇昇進
2023年7月場所:大関昇進
2024年9月場所:関脇へ陥落

 

2023年には62勝し、年間最多勝を受賞

幕内最高優勝は2回:1回目の2023年3月場所は新関脇での優勝で、これは史上4人目の快挙

 

この成績からわかることは
・序ノ口、序二段、三段目をそれぞれ1場所で通過している
・幕下には約三年在籍し、これは期間としては短くはない
・十両昇進後は一度も幕下に落ちていない。十両に昇進しても、力の差を見せつけられて、幕下に落ちてしまう力士もいますが、霧島は落ちることはありませんでした。
・幕内昇進した場所で11勝をあげ、十両に落ちることはありませんでした。
・十両も幕内も、力の強い力士がたくさんいますので、昇進直後は、その力の差に跳ね返され、下の番付に落ちてしまうことがよくあります。しかし、霧島はしっかりと稽古を積んで、上の番付で戦えるだけの力をちゃんとつけていたことがよくわかりますね。


霧島の力士情報のまとめ

・霧島は、モンゴル ドルノドゥ県出身

・霧島は、モンゴルの首都ウランバートルの高校を卒業

・霧島は、アブラカ体育大学に入学

・霧島は、大学の指導者から「日本で力士になるためのテスト」に誘われて、軽い気持ちで来日

・霧島は、序ノ口、序二段、三段目、をそれぞれ1場所で通過。

・霧島は、2023年7月に大関に昇進しましたが、2024年9月に関脇に陥落しました

 

霧島は、結婚していたことを約3年間隠していました。その間に子供も誕生しています。霧島の結婚秘話と奥さん、子供さんについて、こちらで詳しくご紹介しています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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