ベテラン力士の玉鷲関。
横綱から金星を獲得すること、なんと7回!!
土俵で活躍しつづける玉鷲の奥さん、子ども、両親、姉について、玉鷲の力士情報や学歴についてなど、どこよりもわかりやすくお伝えします。
どうぞ最後までお読みくださいね。
玉鷲の奥さんは元モデル!?子供は二人!
玉鷲の家族をご紹介しましょう。
奥さんが美人すぎてついつい多めに撮ってしまった玉鷲夫妻。#sumo pic.twitter.com/kjfJqITKuf
— スモートフォン (@azechiazechi) April 27, 2015
玉鷲の奥さんは同郷のモンゴル人、エルデネビレグ・ミシェルさんです。
年齢は玉鷲より1歳年下。
玉鷲と奥さんは、2012年に結婚しました。
実はこの結婚は2年もの間、世間に知られることはありませんでした。
2014年、突然、玉鷲が結婚していたことが明らかになります。
それは、鶴竜の横綱昇進披露宴がきっかけでした
玉鷲が奥さんと出席したことで、世の中に知られることとなったのです。
玉鷲と奥さんがどこで出会い、どのように愛を育んでいったのか、気になりますよね。
馴れ初めなどについて詳しいことは公表されていないのでわかりませんが、その手がかりになりそうな事実がひとつあります。
それは、玉鷲のお嫁さんが、玉鷲と同じ片男波部屋の力士、「玉正鳳のお姉さん」だということです。
玉正鳳はモンゴル出身で、2011年6月に来日しました。
入門当初は、春日山部屋所属でしたが、現在は片男波部屋所属となっています。
ここでひとつ疑問がわきませんか?
1.玉鷲は玉正鳳からお姉さんであるエルデネビレグ・ミシェルさんを紹介してもらったのか
2.玉鷲とエルデネビレグ・ミシェルさんが付き合っていて、その縁で弟である玉正鳳が大相撲の世界に入ってきたのか
本当のところはわかりませんが、この三人の間でステキなご縁が生まれたことは間違いなさそうですね。
玉鷲には子供が二人!
玉鷲と奥さんの間には子どもが二人います。
長男テルムン君は、2016年4月に生まれました。
モンゴル語で「広い、晴れた日、輝く」という意味があるそうです。
次男のエレムン君は、2019年1月27日に生まれました。
モンゴル語で、「力と心の強さ」という意味があるそうです。
実はこの日は、玉鷲が優勝した日でもあるのです。
早朝6時に生まれたばかりの息子の顔をみて、ほとんど寝ない状態で両国国技館へと向かいました。
息子の誕生が、土俵上での力になったのは間違いないですね。
玉鷲の家族ー姉と父母は?
玉鷲のモンゴルの家族もご紹介しましょう。
父親の名前は、バトジャルガルさん
母親の名前は、ツェンドゥスレンさん
姉の名前は、ムンフゾロさん
2歳年上のお姉さんは日本に留学した経験があります。
平成19年に東京大学大学院を卒業しているのです。
とても優秀な方なのですね。
また、モンゴルの大統領府高官を務めた経験や、国立モンゴル大学と日本大学の間で地球温暖化の研究をしていたという話もあります。
近年では、モンゴルで、高級戸建住宅の建築・販売会社の専務取締役に就任しているという話もあります。
多方面でご活躍されているようですね。
玉鷲の力士情報と学歴
玉鷲のプロフィールをご紹介しましょう。
四股名:玉鷲一朗(たまわし いちろう)
本名:バトジャルガリーン・ムンホルギル
出身地:モンゴル ウランバートル市
身長:189.0㎝
体重:174.0kg
所属部屋:片男波部屋
(引用:Wikipedia)
玉鷲の学歴は?
それではここで、玉鷲の学歴についてご紹介しますね。
玉鷲は、モンゴル食料技術大学に通っていました。
目的は、ホテルマンになるためです。
その時期、日本ではモンゴル出身の力士が活躍していました。
「自分もこの体格を生かして相撲で活躍できるのでは?」
との思いを胸に、ホテルマンになることをやめて、来日することを決めます。
そのきっかけは、お姉さんにあるかもしれませんね。
なぜなら、その時期、お姉さんは東京大学大学院に留学していたからです。
お姉さんが日本にいたことで、日本という存在が玉鷲にとって近い存在となっていた可能性があります。
体格のいい玉鷲でしたが、相撲経験もスポーツ経験もありませんでした。
相撲経験も、力士になるためのつても何もない中、玉鷲は自らチャンスを見つけにいきます。
相撲部屋に入るきっかけとなった話として伝わっているものがあります。
1.両国を歩いていたら、自転車に乗っている力士を発見。
その力士の後をついていくと井筒部屋に着きました。
井筒部屋所属の鶴竜から旭鷲山を紹介してもらい、旭鷲山の紹介で片男波部屋に入門することになりました。
2.姉と両国を訪れ、たまたま通りかかった井筒部屋の稽古場を外からのぞきこんでいました。
井筒部屋に所属していた鶴竜が声をかけてくれて入門の相談をしたところ、旭鷲山の連絡先を教えてもらい、旭鷲山の紹介で片男波部屋に入門することになりました。
これらの話を総合すると、なんらかの理由で井筒部屋に辿り着いて、井筒部屋所属の鶴竜に入門の相談をしたら、旭鷲山を紹介してもらい、片男波部屋に入門することになった、という事のようですね。
相撲部屋からのスカウトにより入門する力士が多いなか、玉鷲のようにこちらから出向いて入門するというのは、珍しいケースではないでしょうか。
玉鷲が優勝した回数は?
玉鷲は2回優勝しています。
2019年1月場所
2022年9月場所
2回目の優勝の時は、37歳10か月でした。
これは、幕内年長優勝記録 歴代2位です。
その他にも数々の記録をもっているので、ご紹介しますね。
・不戦勝の数:14 (歴代1位)
・金星獲得最年長記録(平成以降):37歳9か月
※金星とは:横綱に勝つことをいいます
・初土俵からの通算連続出場回数:1494回(現在、継続中で歴代4位)
・関脇以下の地位での優勝回数:2回(歴代2位)
ケガなどで休場する力士も多いですが、玉鷲も怪我を負いながらも、休場せずに活躍しているのは、体がもともと強い、ということもあるかもしれませんが、毎日のメンテナンスや稽古をしっかりとして体づくりをしているということかもしれません。
玉鷲の奥さん、子ども、姉、父母ー学歴、力士情報についてのまとめ
玉鷲についてのまとめです。
- 玉鷲の奥さんは玉正鳳の実の姉
- 玉鷲と奥さんとの間に子供はふたり
- 玉鷲の姉は東京大学大学院卒業
- 玉鷲の学歴はモンゴル食料技術大学中退
- 玉鷲は幕内年長優勝記録 歴代2位など、数々の記録を保持
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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