高安の出身校とプロフィール、相撲を始めた頃は脱走癖が!?経歴も紹介!

幕内力士

2024年秋場所(9月開催)で、元大関の高安(たかやす)は8連勝をして、10勝の成績を残しました!

終盤では、優勝争いに絡むなど、大健闘の場所となりました。

優勝争いに絡んだ時は、「今度こそ優勝か?」と高安ファンはにわかに期待をしていましたね。

 

人気のある高安。出身校など気になりますね。
相撲に全く興味がなかった高安が、相撲を始めたきっかけは、何だったのでしょうか?
相撲部屋に入門した頃は、脱走癖があったというのは本当でしょうか?

幕内力士の中でも人気のある、高安に脱走癖があるなんて気になりますよね。

プロフィールや経歴もご紹介します。

どうぞ最後までお付き合いくださいね。




高安の出身校 小学校、中学校、高校はどこ?大学は?

高安の出身小学校は、土浦市立土浦小学校(つちうらしりつ つちうらしょうがっこう)

出身中学校は、土浦市立土浦第一中学校(つちうらしりつ つちうらだいいちちゅうがっこう)です。

高安は、高校には進学していません。中学校を卒業すると、鳴戸部屋(なるとべや)に入門しました。

高校に進学していないので、大学にも進学していません。

 

高安が高校に進学しなかったのは、勉強が得意ではなかったからなんです。

高安の名誉のために言うと、高安はちゃんと勉強していました。塾にも通っていました。

でも、塾に通っていても、勉強があまり進まなかったのです。

塾の他にも、野球部の練習や、実家が経営していたレストランの手伝いもあって、時間がなかったという現実もありました。

勉強している割には成績が上がらず、だんだん塾も休みがちになり、カードゲームにのめり込んでいったのです。一種の逃避ですね。

そんな高安の様子をみていた父親は、「相撲取りになる道があるのではないか」、と考えて、相撲部屋へ見学に連れていきます。

 

最近では、高校相撲や大学相撲で活躍していた子が角界入りすることが多くなっていますが、一方で高安のように中学卒業後に叩き上げで活躍する力士もいるのが、大相撲のひとつの魅力だと私は感じています。

 

高安は地元の土浦市立土浦小学校を卒業後、地元の土浦市立土浦第一中学校へ進学。高校、大学へは進学していませんので、最終学歴は、中学校、ということになります。


高安の小学生時代はどんな子だった?

高安は小学生の時はリトルリーグで野球にのめり込んでいる少年でした。

子供の頃から相撲を始める力士が多い中、高安は相撲をしたことはありませんでした。

 

高安は小学4年生の時から、地元の野球チームに所属していました。

高安は、その当時活躍していた、読売巨人軍のドミンゴ・マルティネスに似ていたので、あだ名は、「マルちゃん」だったのです

 

小学生の高安は、すでに身長も体重も同級生よりも、とても大きく目立っていました。

小学四年生の平均身長は140㎝、平均体重は35kgですが、高安はどれくらい大きかったのでしょうか。

当時のマルティネスの身長は182cm、体重は100kg。さすがにここまで大きくはなかったでしょうが、体つきは、マルティネスのようにがっしりとしていたことが想像できます。

 

マルティネスは、ドミニカ共和国出身ですので、色は浅黒く、母親がフィリピン出身の高安も色黒なので、そこも二人の共通点ですね。

目がくるりっと大きい所や、顔がふっくらして彫が深い所も、高安とマルティネスには共通しています。見た目にも親しみやすい雰囲気ですね。

 

私が持つ、南国生まれの方のイメージは、穏やかで陽気。

マルティネスは温厚な性格で知られていますし、高安も穏やかな性格で知られていますね。

性格の部分でも似ているのですね。


高安の中学生時代はどんなだった?

高安は、中学生の時、野球部に所属していました。
この頃も、高安はまだ相撲に出会っておらず、相撲には全く興味がありませんでした

 

中学生の高安は、勉強が苦手でした。高校に進学するためには、成績を上げる必要があり、塾に通い始めたのですが、塾の先生からは次のように言われてしまいます。

本人のやる気次第だが、今からでは遅い。

(引用:Wikipedia)

こう言われたら、やる気もそがれてしまいますよね。

もともと勉強が苦手だった高安ですから、さらにやる気がなくなってしまいます。

高安は、結局、塾も辞めてしまい、ますます高校への進学が厳しくなりました。

 

中学卒業後に、どの高校に進むか、高校で何を勉強するか、進路に悩む時期はありますよね。
高安も、将来について自分はどうしたいのか、考えながら日々を過ごしていたことでしょう。

 

高安は、中学校の授業が終わると、野球部の練習に参加していました。授業が終わってからの部活の練習は18時過ぎまで。
19時頃に家に帰ると、両親が経営するフィリピンレストランの手伝いもしていました。
レストランですから、閉店時間は23時ごろでしょうか。
中学生の高安が23時までお店の手伝いをしていたかどうかは分かりませんが、自由になる時間には、好きなカードゲームをして過ごしていたそう。

 

中学生で、部活もある中で、お店の手伝いをしてくれる高安を、ご両親は心強く、頼りにしていたことでしょう。

高安は、子供ながらに、「自分にできることをやろう」と両親のお店を手伝っていたはずです。

中学生といえば、反抗期の真っ只中。
親の言うことに反抗したいお年頃ですよね。その時期でも、両親を支えていたというところが、素晴らしいな、と私は感じました。

高安は、子供のころから家族想いだったのですね。今は、結婚し、自分の家庭を築いていますが、奥さまにはとっても優しく、家族想いで知られていますね。

家族を思う優しさは、子供の頃から変わっていないようです。


高安のプロフィール ー出身地、身長、体重などー

高安のプロフィールをご紹介します。

 

四股名:高安晃(たかやす あきら)

本名:高安晃(たかやす あきら)

生年月日:1990年2月28日

年齢:34歳(2024年10月現在)

出身地:茨城県土浦市

身長:188.0cm

体重:175.0kg

得意技:突き・推し

所属部屋:鳴戸部屋(なるとべや)→田子ノ浦部屋(たごのううらべや)

初土俵:2005年3月場所

新十両:2010年11月場所

新入幕:2011年7月場所

大関昇進:2017年7月場所

趣味:音楽鑑賞、ギター

好きなテレビ番組:うたコン

(引用:Wikipedia)

 

高安という四股名は、本名です。

高安という苗字が珍しいので、両親が高安という四股名を使い続けてほしいということから、入門当初から変えずにいるのです。

 

入門当初は、自分の苗字を四股名にする力士はたくさんいますね。
番付があがるにつれて、親方から一文字もらったりして、四股名を変えていく力士が多いのですが、高安が「高安」を四股名に使い続けているのには、実はこのような理由があったのです。

 

両親の思いも込められた四股名なのは、素敵だなと私は感じました。
高安は大関にまでなっているので、実際に両親の思うように、「高安」の名前が広く有名になっています。

大関になると、雑誌や新聞、テレビなどのメディアからも取り上げられる機会が増えます。
その機会は、平幕力士と比べると、多くなっていきます。
取材を受けたり、広くその四股名が世間に知られる機会が増えるのです。

 

さらに、大関になると、ファンの注目度もあがります。
大関は、場所中に8敗以上の負け越しをすると、次の場所は、「角番(かどばん)」と言って、8勝以上をしないと、大関から落ちてしまいます。
厳しい決まり事ですが、この決まりもあり、大関=強い力士という地位が守られてもいると思います。
大関は、本当に選ばれし者しかなれない強い力士であることから、ファンも注目してみているのです。


高安の経歴 ー入門後の成績ー

高安は、20歳で十両になり、翌年21歳で幕内力士となると、その後は一度も十両には陥落していません。つまり、大きな怪我や大きな病気がなく、相撲人生を歩めている、ということなんです。

 

高安の経歴を具体的にご紹介します。

・高安は15歳の時に、相撲部屋に入門と同時に相撲を始めます。

中学卒業後に、鳴戸部屋(なるとべや)に入門します。
初土俵は、2005年3月場所です。
新十両は、2010年11月場所です。
新入幕は、2011年7月場所です。

・優勝経験は、2010年9月場所で、幕下優勝が1回。(全勝優勝)

・受賞歴は、殊勲賞が4回、敢闘賞が6回、技能賞が2回
金星は、5個

(白鵬1個、日馬富士3個、照ノ富士1個)

 

高安は、相撲が20年の経歴があり、受賞歴をみると、その受賞の多いことが目立ちますね。

新十両の時、高安は20歳です!

十両になると相撲取りとしては一人前。「関取」と呼ばれます。
20歳で一人前の力士になっていたのですね。
未経験で相撲を始めて、約5年間で関取になっているのは、驚きです!

 

関取は、全力士の1割とも言われています。
相撲経験者、相撲の大会で受賞歴がある人などが、相撲部屋の門をたたき、その中でもたった1割しかなれない厳しい世界なのです…。

高安は、未経験からたったの5年間で、その狭き枠に入ったということです。

 

体格も恵まれていますが、高安自身が相当に稽古をして努力をしたことが、伝わってきますよね。

高安が、相撲の稽古に打ち込むきっかけとなった出来事がありました。
それは、父親の病気です。
父親が腎臓がんになり、大手術をして腎臓を1つ摘出しました。
さらには、経営をしていたお店を手放したのです。
この出来事が大きな転機となりました。

父親が望んでいたのは、高安が相撲で成功をすることでした。
高安は「うかうかしていられない」と、父親に相撲でいい結果を伝えたいという気持ちの一心で、相撲の稽古に取り組みました。
そこからは、脱走することもなく、稽古を積み重ね、父親が望んでいた通り、立派な関取となることができています。


高安は押し相撲が得意!

高安が得意とするのは、押し相撲です。
立ち合いの迫力は、見ていてもすごい威力があるのが伝わってきます。
押し相撲は、稽古が特にしんどいというので、よほど稽古に努力をしているのだろうと、私は思います。

 

押し相撲は、威力とスピードが命です。
ですので、稽古では特に「前に、前に出る圧力」を磨いています。

通常は、年齢を重ねると筋力やスピードも落ちてきますよね。
しかし、34歳の高安は、現在も突き・押しの相撲のスタイルをとっています。
押し相撲の威力が、いまだに衰えない理由は、高安が、日々、たくさんの稽古をこなしているという証だと、私は思います。


高安が相撲を始めたきっかけは?

高安が相撲を始めたきっかけは、中学校の先生と高安の父親でした。

高安は、勉強が不得意だったので、高校に行くかどうかを迷っていました。

中学の2年生頃になると、誰でも進路はとても迷いますよね。
自分の将来の夢について、夢を実現するには成績が関係してくることもありますね。

 

進路に迷っていた高安は、中学2年生の時、担任の先生から、次のように言われました。

体が大きいから相撲をやったら、大成するんじゃないか。

(引用:dmenuスポーツ)

 

高安は、担任の先生からの言葉が嬉しくて、家に帰って父親にこの話をしました。

すると、相撲好きの父親はすっかりその気になってしまったのです

 

高安の父親は、すぐに高安を相撲部屋に見学に連れていこうとしましたが、高安は、「絶対に嫌だ!!」と頑なに拒否をしました。
しかし、父親が無理やりに「見るだけだ!」と言って高安を相撲部屋に連れて行ったのです。

ちょっと強引ですよね…。

父親としては、勉強が不得意でも、自分の力で生きていく術を身につけてもらいたかったのだと思います。

 

鳴戸部屋に見学に行った時のことを、高安は次のように語っています。

親方の自宅に行くと、「筋肉が柔らかくていいね、これは伸びるよ」とほめ倒されて口説かれたんですね。自分も単純ですし、体を動かすのは好きでしたから、体を動かして飯が食える世界ならいいかな、とすっかりその気になって入りました。

(引用:dmenuスポーツ)

 

相撲部屋の親方に褒めてもらえるなんて、相当素晴らしい体つきだったのでしょうね。

 

小学生の頃から野球をやっていた高安は、なんと、やったこともない相撲の世界に飛び込む決意をしたので。15歳で。

身一つで稼ぐ方が、自分の性分に合っている。この大きな体を活かしたい。

(引用:Wikipedia)

15歳で人生の舵をきる決断をしたことに、私は驚きましたし、同時に、自分の得意とすることが、相撲の道に合っていたというのが、なによりも高安にとっての幸運だったと思います。

 

入門当時の高安の体格は、身長が180㎝、体重が120kgありました。

恵まれた体格と、運動神経の良さもあり、高安は、幕内力士に、そして大関にまでなっています。
高安の入門を許可した当時の親方は、高安の才能を見抜いていたということですね。


未経験の相撲を、相撲部屋に入ってからゼロから学んだ高安。

分からないことだらけの中で、高安は試行錯誤をしながら、経験を積んでいきます。

15歳で親元を離れて、心細いこともあったと思います。挫折をしながら、それでも続けることができたのは、親孝行したい、という気持ちだったのですよね。

 

ご両親も、大切な息子を、15歳で手放すことには淋しさがあったはずです。

でも、父親も母親も、高安の成功を祈っていましたし、成功すると信じていました。

親はどんな時でも子供を信じ、応援しているのです。

 

高安もそれを知っているからこそ、頑張り続けることができているのですね。


高安は相撲部屋から脱走していた!?

高安は、入門した鳴戸部屋の稽古が厳しく、部屋での生活が嫌になり、相撲を始めた頃は何度が脱走しているのです。

 

脱走の回数は、高安自身は、7回と記憶しています。

しかし、父親は10回以上と記憶しています。
どちらにしても、脱走癖といえるほどの回数。
驚きですね。

 

高安が脱走した理由ははっきりとは分かりません。

私の推測としては、脱走の理由は、
・相撲の稽古が厳しかった。
・相撲部屋の環境に慣れなかった。
上記のことが大きかったのではないか、と思います。

 

10回近く脱走するとは、よほど相撲部屋の環境や稽古が嫌だったのですね。
相撲の稽古は、朝も早くからあり、厳しいことでも有名。
特に、鳴戸部屋の稽古は、午前中で終わらないこともありました。
さらに、番付の下位の力士たちは、相撲部屋の掃除や食事の支度など、稽古以外にもやることがたくさんあるのです。

 

日常生活でも毎日が目まぐるしく、慣れない生活が嫌になったのでしょう。

おまけに、相撲界は厳格な上下社会で、礼儀に厳しいことでも知られています。
きっと15歳の高安は、「なんて厳しい世界なんだ」と感じたのかもしれません。

稽古は厳しいですし、中学卒業して間もない15歳の高安にとっては、相撲部屋の環境に馴染めなかったのかもしれない、と私は思いました。

 

鳴戸部屋は千葉県松戸市にあります。
高安の実家のある茨城県の土浦市からは、距離にすると、60km以上はあります。
この距離を、自転車で帰っていたのですから、6時間はかかります。

よほど嫌だったのでしょうが、見方を変えると、高安は忍耐力も体力もあるのだなぁ、と私は関心してしまいました。
6時間も自転車をこいで何度も抜け出してくるなんて、すごいですよね…。

 

おそらく高安は、「もう相撲なんて嫌だ!自分の家に帰って、元の日常に戻りたい!」といった気持ちで脱走したのでしょう…。

部屋から脱走をして、自転車に乗って帰ってきた高安を、父親は自宅に迎え入れてくれたといいます。

父親は、相撲の環境に慣れない高安を、心配をしながら家に迎え入れたのでしょうね。
高安はまだ10代だったのですから、初めての相撲、初めての相撲部屋の環境が嫌になるのも無理はありませんよね。

父親は、心配しながらも、親方の言葉を信じていたのだと、私は思います。
「いつか立派な力士になる…関取になるかもしれない…」と。

 

高安の父親は、脱走して帰ってきた高安を鳴戸部屋に送る前には、必ず大好きな焼き肉の食べ放題に連れて行きました。
ご褒美をあげて、「また頑張れよ」、という気持ちがあったのでしょう。

 

しかし、高安を部屋に送り届けた後も、脱走は繰り返しあったのです。

あまりに脱走癖があったので、父親は、親方に「かわいがり」を控えるように、土下座までしてお願いまでしたのです。

高安の父親は、このまま脱走癖が続くのは、避けたいと考えたのです。

 

ちなみに、「かわいがり」とは、番付が下の力士を厳しく育てるために、先輩力士がぶつかり稽古を厳しくすることなどをいいます。

父親が土下座までしてお願いをしたことがあり、高安は、「父親になんてことをさせているんだ」と感じて、自分を反省するようになったのです。

土下座をするとは、よほどの事でしょうし、高安にも強烈なインパクトがあった出来事となったことでしょう。


高安のまとめ

・高安の小学校の出身校は、土浦市立土浦小学校です。
・高安の中学の出身校は、土浦第一中学校です。
・高安が相撲を始めたきっかけは、中学の担任の先生と父親が勧めてくれたことでした。
・高安は中学を卒業して、相撲部屋に入門してから、相撲を始めました。

・高安は、相撲部屋から脱走したことが、約7回もあるほど、脱走癖があしました。

・高安は、新入幕をして約13年間、1度も十両に落ちたことがない力士です。

 

高安が相撲を始めたのは、15歳の時からでした。
しかも、経験がないのに、いきなり相撲部屋に入門しました。運動が得意で、体格にも恵まれていましたが、それでも、かなりチャレンジングだったと思います。

高安はゼロから経験を積み、そこから、関取になり、大関にまでなっているのです。
高安は脱走しながらも、懸命に努力していたことがわかります。

 

相撲界に入門して20年、幕内力士として約13年の高安は、1度も十両に落ちたことがありません!
さらに大関も経験しているので、実力も十分にある力士なのです。
しかし、高安は、まだ1度も幕内優勝の経験がありません。
何度か、優勝を争った場所はありましたが、あと少しのところで、優勝を逃しているのです。

そのため、高安自身も、ファンや解説者までもが、高安の幕内優勝を期待しているのです。

 

私も悲願の初優勝を達成する高安を見てみたいと思います!
これからも高安を一緒に応援していきましょう!

 

高安が大切にしている奥さんはどのような人なのでしょうか。こちらで詳しくご紹介しています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 



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