王鵬の父親は貴闘力!ギャンブル依存ってほんと?祖父は大鵬!?

幕内力士

昭和の大横綱 大鵬(たいほう)の孫として注目されている王鵬(おうほう)関。

父は元関脇 貴闘力(たかとうりき)です。

相撲一家に生まれ、相撲界で活躍することが宿命といえる王鵬関。

サラブレッドの王鵬は、どのような環境で育ってきたのでしょうか。

王鵬の父と祖父の大鵬について、ご紹介します。




王鵬の父親は貴闘力!

王鵬の父は、元関脇 貴闘力関です。

出典:アスリート街.com

貴闘力のプロフィールをご紹介しましょう。

現役時代の四股名 貴闘力忠茂(たかとうりき ただしげ)
本名 鎌苅忠茂(かまかり ただしげ)
生年月日 1967年9月28日
出身地 福岡県福岡市博多区
身長 180㎝
体重 152kg
最高位 東関脇
殊勲賞3回

敢闘賞10回

技能賞1回

優勝回数 幕内最高優勝 1回

幕下優勝 1回

愛称は「曙キラー」。なんと、曙に7回も勝っているんですよ。

体格は平均よりも小さいですが、三賞を合計14回も受賞していることからも、技術もあり、闘志あふれる力士だったことがわかりますね。


王鵬の父親 貴闘力の現役時代は?

貴闘力は、1983年の初土俵から引退する2002年まで、一日も休まず現役を勤めました。

19年間、一日も休まなかったとはスゴイですね!

力士に怪我はつきもの。
膝や腰を悪くしている力士は多いですが、貴闘力は大きな怪我をしなかったのですね。

残した成績も素晴らしいのですよ。

金星9個:横綱に9回も勝ちました!
三賞14回(殊勲賞3回、敢闘賞10回、技能賞1回):土俵上で活躍したことがわかります
幕下優勝1回
幕内最高優勝1回:幕内の一番下の番付から優勝しました。これは当時、史上初の記録でした

体は小さい方でしたが、それをカバーするアイデアや気迫に満ちた力士で、人気がありましたよね。

私も好きな力士のひとりでした。

 

優勝してから2年の間に、負け越しことが多くなり、番付は、幕内下位と十両を行ったり来たりすることが多くなりました。
そして、いよいよ幕下に陥落することが決まった時、引退を決めたのでした。

引退後は、第16代大嶽(おおたけ)を襲名。
親方として弟子の指導にあたっていましたが、2010年には野球賭博事件により日本相撲協会を解雇されてしまいました。
この時、妻の美絵子さんとも離婚しました。


王鵬の父親 貴闘力は引退後なにしてる?

貴闘力は角界を引退後にさまざまな活動をしています。

 

焼き肉店「焼肉ドラゴ」の経営

引退後は、「焼肉ドラゴ」という焼き肉店を複数店舗経営するなど実業家として活躍しています。

「焼肉ドラゴ」は和牛を一頭買いしているそう。客単価が4500円ですので、高級焼き肉店といえますね。

 

YouTuberとして活動

2022年に開設したYou Tubeチャンネルの登録者数は約28万人!
相撲界についてさまざまな角度から語っています。

 

作家デビュー

2022年9月には「大相撲土俵裏」という本を出版。

相撲界のタブーに切り込んだ内容になっているようです。

これらのことがきっかけで、力士となっている三人の息子とは、ほぼ絶縁状態。

それでも貴闘力は

相撲を愛している。自分がやらなければ。

という使命感をもってやっています。

 

プロレスデビュー

2014年、代々木第二体育館で大仁田厚とプロレスデビュー戦を戦い、勝利しました。


王鵬(おうほう)の父親 貴闘力はギャンブル依存症?!

貴闘力の父はギャンブル癖があり、借金取りから逃げるために6~7回も小学校を転校した経験をしている貴闘力は、ギャンブルを嫌っていました。

しかし、父が経営する麻雀屋で賭けマージャンをしたことがきっかけで、賭博に手を染めていきます。

現役時代からギャンブル癖があり、子供たちのお年玉や家のお金も賭博に使ったりしてしまいました。

義父の大鵬に何度も借金を肩代わりしてもらったこともあるのです。

家族に迷惑をかけていてもなお、やめられないのが依存症の怖いところですね。

 

貴闘力はギャンブル依存症と診断され、治療もしているようですが、きっぱりとやめることはできずに、今でも続けているようです。

 

2024年3月には、大谷翔平の通訳、水原一平さんが「ギャンブル依存症」だということで大変話題になっていますね。

依存症は簡単に治るものではないと思うので、一歩づつでも前進していってもらいたいと願っています。



王鵬(おうほう)の祖父は大鵬!昭和時代の名横綱!

王鵬の祖父は大鵬(たいほう)関です。
第48代横綱で、昭和の大横綱ですね。 

出典:大鵬オフィシャルサイト

巨人 大鵬 玉子焼き

というフレーズはあまりにも有名ですよね。

昭和の時代、子供にも大人にも人気のあったものを並べた流行語で、経済産業省の官僚だった堺屋太一が会見で使ったのが始まり、とされています。

 

大鵬関は、人気もあり、また、実力もある力士だったのですね。

大鵬は、当時、日本領だったサハリン州の生まれで、父親はウクライナ人の将校。

太平洋戦争の中、北海道へのがれてきました。暮らしは苦しかったといいます。

二所ノ関一行が巡業に来たのをきっかけに、高校を中退して入門することになりました。

入門当初より、横綱確実という評判でした。

その評判通り、横綱となり、残した成績は、

優勝回数は32回。うち6連覇は2回

という素晴らしいものでした。

 

大鵬は孫たちを大変溺愛していました。

4人の孫たちは大鵬の本名 幸喜から「幸」の一字をとって名付けられています。

4人の孫のうち三人は力士として活躍しているのですから、その血を受け継いでいることは間違いないですね。

2011年に大嶽部屋を新築した際の工事費5億円は全額大鵬が負担した、という話からも大鵬が孫たちを愛し、どれだけ期待しているかがわかりますよね。

 

王鵬の活躍を、大鵬は天国からきっと応援していることでしょう。


王鵬の父親、祖父のまとめ

王鵬関についてのまとめです。

  • 王鵬の父は元関脇 貴闘力
  • 王鵬の祖父は昭和を代表する大横綱 大鵬

 

王鵬関にはつねに「あの大鵬の孫」というものがついてまわると思います。

それはプレッシャーになることもあると思いますが、王鵬関の相撲を追求し、王鵬関らしい力士となって、これからも活躍してもらいたいと思います。

 

角界には祖父や親が力士だったという人が多くいますね。若元春もそのひとり。
お父さんは幕下だったので、「関取」ではありませんが。
若元春についてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。

王鵬のように、親子三代で関取として活躍している琴ノ若。大関にもなって、貫禄が増してきましたね。琴ノ若の家族などについては、こちらで詳しくご紹介しています。



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