こんにちは。日本の文化調査隊の美緒です。
ご訪問ありがとうございます!
今回は、林家ペーパー子さんをご紹介します。
全身ピンク色のド派手な衣装がトレードマークの林家ペーパー子さん。若い頃から現在まで健在の、あの笑い声には知られざる秘密がありました。二人の出会いから現在まであますところなくお伝えします。
まずはこちらの話題からどうぞ!
林家ペーパー子の若い頃はどんなだった?結婚秘話と子供について調査しました!
70代を過ぎても元気に現役であり続ける林家ペーパー子さん。お二人がこの世界に入ったきっかけと出逢い、そして結婚生活について明らかにします!
まずは、林家ペーさんから。
高座名:林家たいぺー
本名:佐藤嘉彦
肩書:タレント 漫談家 写真家 落語家
生年月日:1941年11月29日
出身地:大阪府大阪市
子供の頃から、江戸っ子の粋に憧れていて上京しました。
1964年 初代林家三平に弟子入りするために、ギャグやダジャレを手紙に書き、三平師匠宛てに送り続けました。それがきっかけである時、師匠から声をかけてもらい入門することができたのです。アイデア勝ちですね~
1970年頃 ギター漫談家として活動し始めます。ギターはなんと!伊東四朗から伝授されたというからスゴイですね!
1972年 林家パー子と結婚
2008年頃 テリー伊藤が落語に挑戦したことに影響されて、落語家として林家たい平に弟子入り
2011年頃 「時そば」などを演じる
林家三平師匠の弟子でありながら、師匠から落語の手ほどきをうけていないとは意外ですね。
林家パー子さんの紹介もしましょう。
本名:佐藤粋子(さとう すいこ)
肩書:タレント、落語家、写真家、コーディネーター
生年月日:1948年8月13日
出身地:東京都北区赤羽
最初は演歌歌手を目指していて、作詞家の石坂まさをさんに弟子入りしました。藤圭子さんとは姉妹弟子になります。が、三平師匠の家にいったら、笑い声でまわりがパーっと明るくなる!と「パー子」と命名され、海老名香葉子さんにスカウトされてしまいました。
ペーさんより4年あとの妹弟子ということになりますね。
パー子さんは得意の歌とおしゃべりであっという間に売れっ子になりました。
結婚当初、パー子さんの方が売れていたので、最初はパー子さんに声がかかり、2人で舞台にたったのが、始まりでした。
今では、芸に関してはぺーさん、パー子さんはフォロー役になっています。
ぺーさんは落語協会に入っていて寄席をメインに活動していて、ペーパー子で出演するのは、営業やテレビなのです。
実はペーパー子さんは、夫婦漫才ではないのです。驚きですね~ 二人で出演してるので夫婦漫才だと思っていました。パー子さんは落語協会に所属していないので、ペーさんの漫談の見守り役、という役割なのです。
よくテレビで見るあのシーン! ペーさんの話を聞いてパー子さんが「ハッハッハ~」「ヤーダー」と笑いながら写真を撮っているシーン。あれはパー子さんの役割だったのですね。
ペーパー子さんはおしどり夫婦で有名です。ぺーさんはパー子さんを「粋(すい)ちゃん」と呼び、パー子さんはペーさんを「お兄ちゃん」と呼びます。
仲良しの秘訣はお互いを尊敬しあい、尊重しあい、大切に思っているところですね。
ぺーさんは、パー子さんの人を惹き寄せる持って生まれた魅力を、パー子さんは、ペーさんの真面目で才能があるところを尊敬しています。
2人でいると嬉しいことが倍増するといっています。
そんなふたりですが、子どもはいません。芸能界に存在しながら、子どもを産んで育てるのは大変だし、ほしい気持ちもあまりない、と言っています。
子供がいなくても、2人で濃密な時間を過ごしているのでしょうね。
仕事も生活も一緒だと喧嘩する場面も多いのでは?と想像してしまいますが、お互いを理解しているからこそ、過度の期待をせず、等身大の相手を見ることができているのだと思います。
林家ペーパー子 現在の自宅は赤羽ってホント?
2人は結婚すると赤羽で暮らし始めました。赤羽はパー子さんの実家があるところで、パー子さんとパー子さんのお母さんはピンク色の洋服を着ている母娘で有名でした。
ペーさんとパー子さんの結婚に関しては、お母さんが最大の協力者であり、理解者でした。
テレビに出ていたぺーさんを見てお母さんがとても気にいったという話です。
理由は「三平師匠が6年間も気に入って離さないんだから間違いない」というもの。本当にそうですね。
現在は赤羽のマンションで暮らしています。
林家ペーパー子 あの笑い方には深~いワケがあった?!
パー子さんは歌とおしゃべりで人気者だったにも関わらず、とってもシャイで恥ずかしがりやさんなんです。恥ずかしさをかくすために笑ってごまかしていたのです。
意外ですね~
あの明るさからは、シャイだとは想像できませんね。シャイ過ぎて人の目が気になり、外食ができないらしく、食事は必ず家でとり、旅行にもほとんど行かないんです。そして、なんと!仕事で泊りがけの仕事は一度もしたことがないのです。泊りがけになる仕事は受けないそうです。
それができるのも、2人で運営する事務所に所属しているからですね。そのようにして、ふたりのペースを作り、守っているのですね。
そして、パー子さんは、長年、すごく大きい声で笑っていたので、最近は耳が聞こえづらくなってしまいました。ぺーさんがそばで通訳してくれないと会話ができないくらい、聞こえづらくなっています。
パー子さんはぺーさんのことをとても頼りにしていて、ぺーさんもその役割を快く担っているところに仲の良さがあらわれていますね。
林家ペーパー子 「誕生日記憶」のすごさはこれだ!
ペーさんといえば、非常に記憶力がいいことで有名ですね。多くの有名人の生年月日や郵便番号を記憶しています。
そもそも誕生日を覚えるきっかけはなんだったのでしょうか。
それは、あるテレビ番組の「カレンダーコーナー」でした。高田文夫さんに言われた誕生日のリストを覚えて番組内で披露、「できない」はあり得ない状況でした。コーナーでは、高田さんが日めくりカレンダーを無作為にめくった日が誰の誕生日かを言わないといけない、というものでした。
これはすごいプレッシャーですよね~ テレビ局のアナウンサーの誕生日や、アニメのキャラクター、出入りしてる業者、蕎麦屋の誕生日なども覚えていったそうです。
そもそも記憶力がよかった、というより、やらなければならない状況でみずから切り開いた道なのですね。この時も高田さんやディレクターが望むことを考えて、期待にこたえる努力をするペーさんの真面目さがでていますね。
林家ペーパー子 若い頃も現在も独特の笑い方。特技の「誕生日記憶」についてのまとめ
今回は、林家ペーパー子さんをご紹介しました。いかがでしたか。
これほどまでに長い期間、芸能界で活動しつづけられるのには、やはり理由があったのですね。
いつまでも元気で、ふたりそろってお茶の間に笑いと笑顔を届けてほしいと思います!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、またお会いしましょう!
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