山田隆夫の学歴は? プロフィールは? ずうとるびと笑点の存在

落語家

笑点の座布団運びといえば山田隆夫(やまだ たかお)さんを思い浮かべますよね。

あの小柄で愛嬌のある姿が、長年私たちを楽しませてくれています。

「山田君」という呼び名で親しまれていましたね。

 

でも、実は山田隆夫さんには意外な過去があるんです。

元アイドル、作詞家、作曲家、そして不動産投資家。

貧しい少年時代から芸能界デビュー、そして笑点レギュラーとして活躍。

本記事ではそんな山田隆夫さんの波瀾万丈な人生を紐解いていきます。



山田隆夫のプロフィールは?

山田隆夫(やまだ たかお)さん、笑点でおなじみの座布団運びの役をしている方ですね。
でも、その経歴を紐解いてみると、意外な一面がたくさん見えてきます。
山田隆夫さんのプロフィールをご紹介しましょう。

基本プロフィール:
– 生年月日:1956年8月23日(現在68歳)
– 出身地:東京都江東区深川
– 身長:155 cm
– 現住所:神奈川県横浜市港北区

 

山田隆夫さんの経歴を簡単に振り返ってみましょう:

1960年代:貧しい家庭環境の中で育つ
1970年代前半:「ちびっ子のどじまん」で優勝し、芸能界デビュー
1970年代後半:アイドルグループ「ずうとるび」でトップアイドルに
1980年代:「笑点」の座布団運び役として活躍開始
1990年代以降:不動産投資家としても活動

  • 17歳で不動産投資を開始
  • 都心部の駅近物件に投資し、空室リスクを低減
  • 重量鉄骨造を選択し、コストと耐震性のバランスを確保
  • 徹底したコスト管理と交渉力で建築費を抑制
  • 年間約1,200万円の家賃収入を得る(タレント業の約10倍)
  • マンション売却で大きな利益を獲得(評価額の3.46倍で売却)
  • 不動産投資セミナーの講師としても活動(1回50万円の講演料)

2024年現在:タレント活動に加え、不動産投資家を両立

 

この経歴を見ると、山田隆夫さんの人生がまるでジェットコースターのようだと感じます。
上り坂あり、急降下あり、予想外のループありと、まさに波乱万丈。
アイドルから座布団運び、そして投資家まで

 

でも、不思議と全てがつながって今の山田隆夫さんを作り上げている感じが私はしています。
そこには、私たちが想像もしないような転機や挑戦が数多くありました。
これから、山田隆夫さんの、その波乱万丈な人生をより詳しく見ていきましょう。


山田隆夫の学歴 小学校時代は?出身小学校はどこ?

山田隆夫さんの小学校時代は、想像以上に厳しいものでした。
東京の下町、江東区深川で生まれた山田隆夫さん。
小学校は、渋谷区猿楽小学校に通っていました。

山田隆夫さんが誕生する直前に、家族は大きな不幸に見舞われました。
両親が経営していた材木問屋が詐欺に遭い、自宅と工場を全て失ってしまったんです。

 

その結果、山田隆夫さんの幼少期は本当に貧しい生活でした。
靴を買う余裕すらなく、穴の開いた靴下を履いて過ごしていました。
今のテレビで見る姿からは想像もつきませんよね。

 

でも、この逆境が山田隆夫さんの才能と決意を育てる土壌になったんです。
両親を笑顔にしたいという思いから、山田隆夫さんは人を楽しませることに興味を持ち始めました。
学校の学芸会では落語の演目に挑戦し、クラスで人気者になったそうです。

山田隆夫 人生の転機は小学生の時?!

山田隆夫さんの人生を大きく変えるチャンスが、ある日突然、訪れます。

それは、小学四年生の時に地元で公開収録をしていた人気番組「ちびっこのどじまん」での出来事。

山田隆夫さんは、それをお友だちと観に行ったのですが、たまたま出場者に欠員がでて、司会者が飛び入りで参加する人を募りました。
この時の山田隆夫さんの行動は、周りと少し違っていました。
周りの子は、みんな手を挙げていたのですが、山田隆夫さんは、なんと、自分から舞台にあがってしまったのです!

 

そして、なんと優勝してしまったんです!
賞品はインスタントラーメン6か月分!
当時、三度の食事も大変だったので、それを手に入れた時の家族の喜び
ようは、想像に難くありませんね。

 

この優勝をきっかけに、山田隆夫さんは子役としての活動を始めます
そして、驚くべきことに、わずか17歳で初めての家を購入したんです。
幼い頃からの「しっかりとした不動産を持とう」という決意が、こんなに早く実現したんですね。

 

山田隆夫さんの小学生時代の話を聞いていると、人生の不思議さを感じます。
貧困だった家庭環境が、逆に山田隆夫さんの才能を引き出すきっかけになったなんて。
人生ってわからないものですね。

 

私は今だからこそ、山田隆夫さんの経験の意味が分かる気がします。
貧しさを嘆くんじゃなく、そこから何を学べるかを考える。
そんな姿勢が、結局は人生を豊かにしてくれるんだなって思います。

結局のところ、人生って思い通りにはいきません。
でも思い通りにいかせてくれない予想外の出来事こそが、案外、人生を面白くしてくれてるんですよね。
その思い通りにいかないその時はすごく大変なんですけども(笑)



山田隆夫の学歴 中学校時代は?出身中学はどこ?

山田隆夫さんは東京都江東区の「江東区立深川第七中学校」に通っていました。
深川というと、錣山部屋、髙田川部屋など、相撲部屋がたくさんあるところで有名ですね。
そんな江戸情緒が残る下町で中学時代を過ごしたんです。

 

でも、山田隆夫さんの中学時代で一番驚くのは、なんといっても『笑点』への出演です。
中学2年生の時に、『笑点』の「ちびっ子大喜利」にレギュラー出演したんですよ。
今でこそ「座布団運びの人」として知られていますが、その原点はここにあったんですね。

 

「ちびっ子大喜利」は1970年代に放送されていた『笑点』の人気コーナーでした。
子役たちが参加する大喜利形式の企画で、山田隆夫さんはなんとこのコーナーの初回からレギュラーとして出演していたんです。
子供たちが座布団を獲得するためにユーモアや機知を競い合う中で、山田隆夫さんは見事に座布団10枚を獲得

 

座布団10枚を獲得した記念商品が、「レコードデビュー」だったんです。
そして、「ずうとるび」を結成。
山田隆夫さんは歌手デビューすることになったのです。
まさに、山田隆夫さんのその後の人生はここから始まった、とも言えますね。

 

想像してみてください。みんなが部活や受験勉強に励んでいる中、山田隆夫さんは全国放送の人気番組にレギュラー出演していたんです。
これって、すごいことですよね?

 

正直、私には想像もつきません。
もし、自分が中学生の時にそんな経験をしていたら、どうなっていたでしょうか。
きっと、戸惑いや不安でいっぱいだったはずです。
山田隆夫さんも同じような不安を感じたかもしれません。
でも、山田隆夫さんはその経験を前向きに受け止め、独自の魅力を築き上げていったんですね。

 

この「普通ではない」中学時代こそが、後の山田隆夫さんの多彩な才能を開花させた秘密だと感じます。
芸能界での活動は、単に人を楽しませる才能を磨いただけでなく、山田隆夫さんの視野を大きく広げたのでしょう。
そして、この中学時代という多感な時期での特別な経験が、山田隆夫さんに「常識にとらわれない思考」を身につけさせ、後の人生における柔軟な対応力の基礎になっていったのだと、私は思いました。



山田隆夫の学歴 高校時代は?出身高校はどこ?

山田隆夫さんの出身高校は、「日本大学豊山高等学校」です。
詳しくご紹介しましょう。

 

基本情報は以下の通りです。

  • 高校名:日本大学豊山高等学校
  • 住所:東京都文京区大塚5-40-10
  • 学校区分:私立の男子校
  • 偏差値:特進コースは57、進学コースは53
  • 特徴:日本大学の付属校で、中高一貫教育を行っている

 

「至誠よく 真理と正義を愛すること」
「国際社会に活躍し 貢献できること」
これらを、この学校の教育方針として掲げており、長い歴史と伝統を持っています。
山田隆夫さんは、こんな立派な私立の男子校に行ったんですね。

 

山田隆夫さんの高校生活は、普通の高校生とは全然違うものでした。

山田隆夫さんは1975年にこの高校を卒業しましたが、在学中から芸能活動を行っていたんです。

高校時代、山田隆夫さんはアイドルグループ「ずうとるび」で活動していました。
前の章でも触れましたが、このグループは『笑点』の「ちびっ子大喜利」での活躍がきっかけで結成されたんです。

 

山田隆夫さんはリーダーとして、作詞作曲も手がけていました。
学校に通いながら、アイドルとしてテレビに出演し、曲を作って、ライブもこなす。
今の時代でもハードですが、当時はもっと大変だったでしょうね。
でも、この経験が山田隆夫さんのその後の人生を豊かにしたんですね。

 

立派な私立の学校へ行けたのは、ご両親の事業がその後軌道に乗ったのか、それとも、山田隆夫さん自身の芸能活動からの収益のおかげだったのか、は調べても分かりませんでした。

ただ、17歳で不動産投資をしていたことを考えると、山田隆夫さん自身の稼ぎで私立に行ってたとしても全然不思議じゃないですね。

 

貧しい生い立ちだったのは運、「ずうとるび」という時代の波に乗れたのも、運。
でも、その荒波の中で自分を見つけ、身を持ち崩さずしっかり歩んでこれたのは決して運ではない。山田隆夫さんの強い決意や意志があったからだ、と私は想像しています。



山田隆夫は「ずうとるび」のリーダー!?

ずうとるびは、1970年代に大人気だったアイドルグループで、山田隆夫さんがリーダーを務めていました。

前述の「ちびっ子大喜利」での活躍がきっかけで結成されたこのグループ、実はその名前にも面白い由来があるんです。

 

結成したグループで、ベースを担当していた今村さんは左利きでした。
当時、世界的に大人気だったビートルズのポールマッカートニーも左利き。
その様子が、「ビートルズみたい」ということから、ビートルズを並べ替えて、「ずうとるび」にした、というエピソードがあるんです。

ビートルズのポール・マッカートニーとリンゴ・スターが左利きだったことはよく知られています。特に、ポールの左利き用ベースの演奏スタイルは、ビートルズの象徴的な要素の一つでした。
バンド内に左利きのメンバーがいると、楽器の持ち方が対称的になり、視覚的にもユニークな印象を与えるんです。
舞台を観た時に得られる視覚効果もまた、「ビートルズみたい」ですね。

 

山田隆夫さんが17歳だった1973年に、ずうとるびは結成されました。
1974年2月、「透明人間」でデビューしたずうとるびは、その後「みかん色の恋」などのヒット曲を出し、NHK紅白歌合戦にも出場するほどの人気グループになりました。

山田隆夫さんは、グループのリーダーとして活躍しながら、作詞・作曲も手がけていました。
このクリエイティブな経験が、山田隆夫さんのその後の芸能活動に大きな影響を与えたことは容易に想像できますね。

しかし、デビューから3年後の1977年、山田隆夫さんはわずか21歳で結婚し、同時にグループを脱退してしまいました。

一見、早すぎる決断に思えますが、実はここには裏話があるのです。
脱退の理由は、結婚だけでなく、音楽の方向性の違いも脱退の理由だったんです。

山田隆夫さんは、コメディやユーモラスな要素を中心に活動したいと考えていたのに対し、他のメンバーは「ビートルズ」のようなバンドを目指していたのです。

山田隆夫さんが、若くして大きな決断をした背景には、このような音楽性の違いがあったんですね。
17歳でデビューして、紅白にもでる人気グループになったのに、21歳の脱退はもったいない!ってて思うのは私だけでしょうか(笑)

山田隆夫さんが抜けた後も、ずうとるびは活動を続けましたが、1982年に解散しました。
そして、時は経ち、2020年、山田隆夫さんを含む5人で「ずうとるび」を再結成し、再び活動を開始することになります。

 

山田隆夫さんの人生を振り返ると、アイドル時代の経験が思わぬところで活きていることに気づきます。例えば、作詞・作曲の経験は「笑点」での機転の利いたやりとりに、グループをまとめる経験は後の不動産投資での人脈作りにつながっているように私には思えます。

山田隆夫さんのこれまでの軌跡をたどると、人生に無駄な経験なんてないんだなあと感じずにはいられません。
山田隆夫さんのアイドル時代は、決して長くはありませんでしたが、今の山田隆夫さんを作り上げる重要な要素に絶対なっていますよね。
若い頃の挫折や意見の相違さえも、後の人生にしっかりと活きてる。
結局、私たちの毎日の小さな出来事も、将来の自分を作り上げる大切なピースなんですよね、きっと。

山田隆夫 笑点の顔として40年

山田隆夫さんと『笑点』との出会いは、前述している1970年代の「ちびっ子大喜利」に遡ります。

 

しかし、現在の山田隆夫さんの姿を知る人々にとって、山田隆夫さんは何と言っても『笑点』の座布団運びとして親しまれていますね。

その経緯をご紹介しましょう。

 

1984年10月7日、山田隆夫さんは『笑点』の大喜利で6代目の座布団運び役として正式に出演を開始しました。
前任者の松崎真さんの後を継いだ形です。

面白いのは、山田隆夫さんが座布団運びに選ばれた理由。
これまでの座布団運び役は体格の良い人が多かったため、
重い座布団を小柄な人が運んだら面白いのではないか」
という5代目三遊亭圓楽さんと番組プロデューサーのアイデアがあったからなんです。

 

山田隆夫さんの『笑点』での役割は、単なる座布団の運搬だけにとどまりません
回答者との掛け合いや、時にはコミカルな演技を交えて、番組に華を添えています。
例えば、回答者からの罵倒やからかいに対して座布団を没収するという演出は、山田隆夫さんならではの魅力を引き出しています。

また、地方収録の際には「山田流座布団運び家元とその一座でございます」といった歌舞伎風の挨拶をすることが恒例となっており、これも山田隆夫さんのキャラクターを際立たせる要素となっています。

 

こうやって見ていくと、山田隆夫さんの人生は全然一本道をまっすぐ歩いてきたわけじゃないんですよね。
人生の「寄り道」や「回り道」で大きな蛇行を繰り返して、来た道を振り返れば不思議とつながっている。
全く異なる業界へ飛び込み、新たな才能や可能性を開花させていく山田隆夫さんの人生。
「キャリアは一本道」なんて考え方とは、真逆だなぁ、と私は思いました。

 

山田隆夫さんについて何も知らないで「笑点」を見ていると、座布団運びだけで喰っていけて楽してるな、と思う人もひょっとしたらいるかもしれないです。

でも、実は全然そうじゃない。
普通では考えられない人生の荒波を超えて、あの舞台に立ち、今も座布団を運んでいるんですよね。

 

山田隆夫のまとめ

山田隆夫さんの人生を振り返ると、まさに波瀾万丈の物語が目の前に広がります。

主なポイントを振り返ってみましょう:

・ 貧困家庭で育ち、両親を笑わせたい思いから芸能を志す
・ 小学4年生で「ちびっこのどじまん」で優勝、芸能界デビューのきっかけに
・ 高校時代、男性アイドルグループ「ずうとるび」で人気を博す
・ 21歳で結婚、音楽性の違いでずうとるびを脱退
・ 28歳で『笑点』座布団運び役に抜擢、独自キャラを確立
・ タレント活動と不動産投資で成功を収める

 

山田隆夫さんの人生を見てきましたが、一見バラバラに見える経験が、不思議とつながって、今の山田隆夫さんを作っているのが面白いですよね。
アイドル時代の華やかさが『笑点』での愛されキャラにつながり、貧しかった頃の苦労が、今の不動産投資の原動力になっている、と私には思えます。

人生って、そういうものなのでしょうね。もしかしたら、回り道こそが人生そのものなのかもしれません。
山田隆夫さんの人生に、座布団100枚!!

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 



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