三遊亭好楽の学歴と経歴は?!プロフィールに隠れた物語

落語家

落語界の重鎮、三遊亭好楽(さんゆうてい こうらく)さん。
笑点でおなじみのピンク色の着物の人物ですが、その人生には笑いと涙が詰まっています。
破天荒な若き日から、今や日本を代表する落語家へ。
その波乱万丈の人生と、年を重ねて磨かれた芸の深みをご紹介します。



三遊亭好楽のプロフィールは?

皆さん、笑点でピンク色の着物を着ている人、三遊亭好楽(さんゆうてい こうらく)さんをご存知ですよね?
私、最初は落語って難しそうだなって思ってたんですが、三遊亭好楽さんの話を聞いてからというもの、すっかり落語の世界に引き込まれてしまいました!
では、三遊亭好楽さんのプロフィールを詳しく見ていきましょう。

出典:日本テレビ

本名 家入 信夫(いえいり のぶお)
生年月日 1946年8月6日
出身地 東京都豊島区
年齢 77歳(2023年現在)

77歳ですが、笑点を含め現在も第一線で活躍されています。

 

ご家族について、簡単に紹介します。

  • 息子さん: 三遊亭王楽さん(落語家)
  • 長女さん: 好楽さん、王楽さんのマネージャー
  • 次女さん: たい焼き屋さんを経営
  • お孫さん: 高座デビューも果たした二人の孫

このように、三遊亭好楽さんの家族はそれぞれの分野で活躍しつつ、落語の伝統を次世代に受け継いでいます。

 

お仕事・活動に関しては、
落語だけでなく、テレビやCMにも出演しています。
特に印象的なのは、高校生向けの講演で「生きることの歓び」を伝えていることです。
実は、三遊亭好楽さんは奥様を亡くされているんです。
その経験を乗り越えて、なお人生の喜びを伝え続ける姿に、私は深い感銘を受けます。

私が思うに、三遊亭好楽さんの魅力は、古典を大切にしながらも、現代に合わせて進化し続けているところです。77歳になっても、まだまだ新しいことにチャレンジする姿勢は、かっこいいです!



三遊亭好楽の学歴は?学生時代のエピソードは?

三遊亭好楽さんの学歴です。


・小学校:豊島区立大塚台小学校
・中学校:豊島区内の中学校(具体的な学校名は公表されていません)
・高校:京華商業高等学校(現:京華学園商業高等学校)

大学には進学せず、高校卒業後すぐに落語家の道を選んだんです。
でも、その決断までの道のりが面白いんですよ!

学生時代のエピソードもたくさんありました。

  • 幼い頃から面倒見の良いガキ大将で、仲間内でラジオ体操を企画したり、
    野球チームの総監督を務めたりしていた。
  • 小学生の頃からラジオで落語を聞くのが好きで、夜に布団の中でくすくす笑っていた。
  • 中学ではバスケットボール部に、高校ではバレーボール部に所属していた。
  • 高校時代、友達に誘われて池袋の寄席に通い始め、毎日通い詰めて一番前の席に座るほど落語に夢中になった。
  • 高校卒業後、兄のアパートに居候しながら大学受験を目指したが、アルバイトと寄席通いに明け暮れてしまった。結局、勉強しないことを理由に兄にアパートを追い出された。
  • 八代目林家正蔵(はやしやしょうぞう)(彦六)さんの落語「鰍沢(かじかざわ)」をラジオで聞いて感動し、弟子入りを決意。
  • 父親が早くに亡くなり、母親が一家を支えていた。三遊亭好楽さんも新聞配達をして家計を助けていた。

大学には進学せず、高校卒業後すぐに落語家の道を選んだんです。
正直、私はこの決断にびっくりしました。
1960年代半ばの日本では、大学進学率はまだそれほど高くありませんでした。
当時の若者たちの多くが就職や実業の道を選ぶ中で、好楽さんも悩み悩んだ末に夢中になっていた落語という芸能の世界に飛び込む決断をしました。
これって昔も今もきっと相当な覚悟がいる決断ですよね。

小学生の頃からラジオで落語を聞くのが好きだったという話を聞くと、三遊亭好楽さんの選択は運命的に感じられます。
高校時代に寄席通いを始めたことは、きっと人生の転機だったのでしょう。
この落語への情熱を見ていると、大学受験の失敗も、彼を本当にやりたいことへ導いた出来事だったのかもしれません。

三遊亭好楽さんの経験は、学歴だけでなく、失敗をどう活かすかが人生を作るということを教えてくれるように思います。皆さんはどう感じますか?



三遊亭好楽の経歴は?

三遊亭好楽さんの落語家としての歩みです。
1965年:高校卒業後、大学受験に失敗。
1966年:林家正蔵(はやしや しょうぞう)さん(後の彦六)に入門。前座名は「林家九蔵」。
1981年:真打に昇進。
1983年:師匠が亡くなり、三遊亭円楽一門に移籍。「三遊亭好楽」に改名。

でも、この経歴だけじゃ面白くないですよね。
実は、三遊亭好楽さんには破天荒なエピソードがたくさんあるんです!

例えば、「昭和43年の51,000円事件」。
当時前座だった三遊亭好楽さんが、なんと51,000円(2024年の価値に換算すると約20万円くらい!)を一晩で使い果たしちゃったんです。
前座の給料が1回100円くらいだった時代の話です!(当時の100円は現在の約400円くらい)。
つまり、三遊亭好楽さんは約500回分の高座料を一晩で使ってしまったんです。
あちゃ~~~ですよね(笑)。

それから、初代の師匠である林家彦六さんから23回も破門されたっていうのも有名な話。
これは主にお酒が原因だったんです。
三遊亭好楽さんは若い頃、お酒を飲むと暴れたり、高座に遅刻したりしてしまったそうです。
でも、三遊亭好楽さんは

「酒はしくじりのもとになることもあるけど、あたしにとっては芸を磨く肥やしになってくれた面もある」

(引用:『落語家三遊亭好楽の軌跡』2020年、落語芸術出版社)

と語っています。

お酒を通じて多くの人と出会い、様々な経験をしたことが、今の芸の深みにつながっているんでしょうね。
まるで、失敗という肥料で育てた大輪の花みたいですよね。
私は全然飲めないのでちょっとよくわからない感覚ですが(笑)

私は、三遊亭好楽さんの落語を聞いてると、
「あら、この人、笑点で見るよりずっと表現力豊かで深みがあるわ」って思っちゃうんです。
ピンク色の着物の中にまだまだ隠れてた才能が、高座の上で花開くみたいな。
もちろん笑点でも面白いんだけども、落語家としての三遊亭好楽さんは別物なんです。

最近は、インスタやYouTubeのショート動画のような、パッと見て分かりやすいコンテンツに人々の価値観が引っ張られがちです。
「すぐに、簡単に、見栄えのする、衝撃的なこと」
が良いものとされるアルゴリズムが、SNSのなかだけでなく、すでに私たちのあたまのなかに埋め込まれてきている感覚があります。

たとえば、最近こんな経験ありませんか? スマホを開いたら、可愛い猫の動画に釘付けになって、気づいたら3時間経ってた…なんて。私なんて、よくやっちゃいます(笑)。

でも、ふと考えると、これって私たちの脳みそに「インスタント思考ウイルス」が感染しちゃってるみたいですよね。「すぐに、簡単に、見栄えよく、ドキッとする」…まるでインスタント食品のCMみたい。

そんな中、三遊亭好楽さんの落語を聴くと、なんだかホッとするんです。
まるで、コンビニ弁当ばかり食べてた後に、おふくろの味を思い出すような。

三遊亭好楽さんの芸って、即席ラーメンじゃなくて、じっくり煮込んだ味噌汁みたいなものかもしれません。一見地味だけど、飲めば飲むほど「あぁ、これこれ!」ってなる。

そう考えると、私たちの人生も、もしかしたらスローフードみたいなものかも。
急いで作ろうとすると、どこか物足りない。でも、ゆっくり時間をかけて、ときには失敗しながら作っていくと、思わぬ味が出てくる。

明かりを消してはじめて気づく満点の星空のように、パッと見じゃわからない素敵なことって、意外とたくさんあるんじゃないでしょうか。

…なんて、偉そうなこと言ってますが、私もまだまだ「インスタント思考ウイルス」と闘う毎日です(笑)。
でも、たまには三遊亭好楽さんのような「人生の味噌汁」を味わってみるのも、案外いいかもしれませんね。

さて、今日の晩ごはん、インスタント食品にするか、それとも…?



三遊亭好楽のまとめは?

三遊亭好楽さんの人生から学べることをまとめてみました:
・ 好きなことに全力投球することの大切さ
・ 失敗を恐れずチャレンジし続ける勇気
・ 年齢を重ねることで得られる味わい深さ
・ 後進の育成に力を注ぐ大切さ
・ 家族の絆と伝統の継承の素晴らしさ

三遊亭好楽さんの人生を振り返ってみて、私、ちょっとドキッとしちゃいました。
だって、考えてみてください。もし私が親だったら、「お酒を飲んで暴れて23回も破門された」なんて息子がいたら、きっと気が気じゃないですよね(笑)。

そんな波乱万丈の人生を経て、今や国民的人気者となった三遊亭好楽さん。
その生き様は、私たちに人生の奥深さと可能性を教えてくれています。

私もいくつかやってみたいことあるんです。この記事を書いていて、好楽さんに「じゃあ、やってみればいいんじゃないの?」と肩をたたかれた気がしました。



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