山田隆夫の座布団運びはいつから? 落語家に弟子入りしたきっかけは?

落語家

山田隆夫(やまだ たかお)さんは、日本の長寿番組「笑点」で座布団を運ぶ係りとして親しまれています。

実は、落語家でもあるのです。

山田隆夫さんの人生には、常に笑いへの情熱があります。

そんな山田隆夫さんの人生をご紹介します。

どうぞ最後までお読みくださいね。



山田隆夫は座布団運びをいつからしてる?

『笑点』で山田隆夫さんが座布団運びを始めたのは、1984年10月7日のことです。
その時、山田くんは28歳。
もう40年近く続けているんですね。驚きです!

出典:日本テレビ「笑点」

当時、山田隆夫さんはアイドルグループ「ずうとるび」を引退した後で、仕事は難しい状況でした。
そんな折、「笑点」の制作責任者から番組への出演依頼がありました。
選ばれた理由は、山田くんの明るい性格や、観客を楽しませる能力が評価されたからです。
アイドル時代の経験が活かされているのかもしれませんね。

 

座布団運びは山田隆夫さんにとって、単に座布団を運ぶということ以上の意味があります。
山田さんは「座布団と幸せを運ぶ」人として知られています。
観客を楽しませる山田さんの能力そのものを表現しています。

しかし、山田隆夫さんが長年続いている理由は、単に山田くんが頑張ったからだけじゃないんです。
視聴者が山田隆夫さんを支持し、愛し続けてきたからこそなんです。

 

興味深いことに、山田隆夫さんが「笑点」を一時的に休演したことが過去に2回あるんです。

1回目は1998年のこと。
若手大喜利で最も優れた噺家に座布団運びをやらせるという制作サイドの新しい試みにより、山田さんは一時的にその役割から離れることに。
でも、視聴者からの苦情や抗議が殺到しました。
さらに驚いたことに、五代目三遊亭圓楽や桂歌丸をはじめとする番組メンバーからも
「山田君を座布団運びとして戻さないなら、笑点は他局でやる!」
という強い要望がありました。そして、結局、1か月で復帰できました。

 

2回目は2020年のこと。
新型コロナウイルスの影響で「笑点」がリモート収録になった時です。
この時、司会の春風亭昇太さんが「不要不急の座布団運び」として山田隆夫さんの欠席を説明しました。
これは、オンライン収録という特殊な状況の中で座布団を実際に運ぶ必要がなくなったことを、ユーモアを交えて表現したものでした。

この時も、視聴者からは山田くんの不在を心配する声が多く寄せられました。
「戦力外通告されちゃうんじゃないか」とか「今週も不要不急の座布団運び」なんて声が上がりました。
中には「山田クンをやめさせないで!」というファンレターまで届きました。

こんなにも多くの人が心配したということは、山田隆夫さんがどれだけ愛されているかの証拠ですよね。

山田くんはいつまで座布団運びをしてくれるのでしょうか。
私は、できるだけ長く続いてほしいと思っています。
でも同時に、山田隆夫さんの後継者も気になりますね。
山田さんのように、視聴者に愛される座布団運びさんが現れるのか、これからも注目していきたいと思います。



山田隆夫はなぜ落語家へ弟子入りしたの?

山田隆夫さんが落語家を目指したきっかけは、意外にも山田くんの幼少期の家庭環境が関係しています。

山田隆夫さんの実家は材木問屋を営んでいましたが、詐欺に遭って全財産を失うという不幸な出来事がありました。

この出来事のせいで、両親はいつも暗い表情をしていました。
そんな両親を見て、山田隆夫さんは「心から笑わせたい」という思いを強く抱くようになりました。
これが、山田くんが落語に興味を持つ最初のきっかけとなったのです。

 

しかし、実際に落語家として弟子入りを決意した理由は、「笑点」での経験がきっかけでした。
「笑点」で座布団運びを始めたころの山田くんは、番組冒頭の挨拶に大きなプレッシャーを感じていました。
師匠方が次々と面白いことを言った後に、自分が挨拶をしなければならない。これが本当に辛かったのです。
この「冒頭挨拶コンプレックス」という山田くん自身の課題を克服するために、落語家へ弟子入りしたのでした。

 

私も人前で話すのが苦手なので、その気持ち、ちょっとわかります。
ところが、山田隆夫さんはこの苦手意識を乗り越えようと、まさかの落語家入門を決意したんですね。これには驚きました。

 

当時の落語協会会長だった5代目鈴々舎馬風(れいれいしゃばふう)師匠に弟子入りしたのは、落語の世界のしきたりや作法、立ち居振る舞いを学ぶためでした。

出典:落語協会

落語家として一歩を踏み始めた山田隆夫さんは、高座名「鈴々舎鈴丸(れいれいしゃすずまる)」をもらいました。
この名前で高座に上がり、実際に落語を披露するようになりました。
作法などを学ぶだけでなく、落語家としての活動を始めたのですね。

この選択、なんだかすごく山田隆夫さんらしいなと思います。
コンプレックスを抱えたまま逃げ出すんじゃなく、真正面から向き合って、しかも落語という伝統芸能へ飛び込んでいく。
こんな風に自分の弱点と向き合える人って、強いですよね。

なによりも一般的にいえば大成功の人生を送ってきて、また、ほかの事業でもしっかり成功しているのに、「落語家」という新たな挑戦を42歳の時にしたのがすごいです。
山田隆夫さんは不動産投資で成功するなど多方面で活躍していますが、これらにも山田くんの物事への向き合い方が関係しているのだと思います。
山田隆夫さんの落語家としての活動は、「笑点」での座布団運びと並行して続いています。
座布団運びと落語家、この二つの顔を持つことで、山田隆夫さんは更に多くの人々に笑いと幸せを届けています。



山田隆夫の座布団運びのエピソードは?

山田隆夫さんの座布団運びは「笑点」の名物として長年親しまれてきました。
1984年から2024年までの40年間にわたり続けている、この仕事には、忘れられないエピソードがたくさんあります。

 

突き飛ばし技

まずは「突き飛ばし技」です。
これは、5代目三遊亭圓楽さんの提案で始まりました。
山田隆夫さんが座布団を没収する際に、回答者を軽く突き飛ばすというパフォーマンス。
最初は視聴者も驚きましたが、すぐに番組の名物となり、大きな話題を呼びました。
話芸の大喜利に、ピリッと刺激があって、私もこのシーンがとても好きでした。
この技のバリエーションとして「蹴飛ばし技」もありましたが、メンバーの高齢化や安全面を考慮して、今はもう少し穏やかなやり方に変わっています。

 

罵倒ネタ

それから、「罵倒ネタ」も欠かせません。
他の出演者から思いっきり罵倒されるんですが、山田隆夫さんはそれを受けて座布団を没収する。
特に桂歌丸さんや6代目三遊亭円楽さんの罵倒が秀逸で、視聴者を爆笑させていました。
「今日限りで番組卒業」「クビ」なんて言われることもありましたが、これも番組の人気の要素になりましたね。
最近では、林家たい平さんや桂宮治さんからは「楽屋の弁当を盗んだ」なんて言われることもありましたね。

 

歌丸キャッシュバック

面白いのが「歌丸キャッシュバック」というものです。
桂歌丸さんが司会をしていた時代に始まりました。
山田隆夫さんが没収した座布団にプラスして返すよう指示されたんです。
これで歌丸さんと山田隆夫さんの間で新たなボケとツッコミが生まれて、番組にまた新たな面白みが加わったんです。

 

山田隆夫さんと三遊亭円楽さんの関係も言わないわけにはいきません。
円楽さんは表向き「腹黒キャラ」を演じていましたが、実は山田隆夫さんをとてもかわいがっていました。
一度、若手落語家に座布団運びを任せる企画があった時、円楽さんが「山田くんじゃないとダメだ!」とプロデューサーに強く主張して、山田隆夫さんを座布団運びに戻したエピソードがあります。

 

また、円楽さんは自分の弟子たちを叱る時に「山田くんはスピルバーグの映画に出る」なんて言って、「お前たちはなんで出られないんだ!」と激励していました。
山田隆夫さんの才能を認めていたんですね。
円楽さんが引退する最後の回の舞台袖で、
「山田クン、頼りにしているよ」
と声をかけられたことは、山田隆夫さん自身の記憶に強く残っているエピソードです。

 

これらのエピソードを見ていると、山田隆夫さんの座布団運びは、「笑点」という番組の中で、まるで無声映画のチャップリンのような存在感を放っています。
言葉少なく、しかし体全体で表現する山田隆夫さんの芸は、40年という時を越えて、今なお新鮮さを失っていません。

山田隆夫さんの座布団運びって、本当にすごいですよね。テレビの世界がどんどん変わっていく中で、山田隆夫さんの座布団運びだけは変わらず愛され続けている。
これって、やっぱり山田隆夫さんの芸に、何か特別なものがあるからなんでしょうね。

山田隆夫さんを見ていると、古くさくなるどころか、むしろ年々面白くなっているような気がします。
旨いラーメン屋さんは気づかれない程度に少しずつ味を変えているっていうけれども、きっと山田隆夫さんも40年間ずっと同じことをやっていたわけじゃなくて、私たちが気づかないくらいの細かい工夫を重ねてきたんだと思います。
座布団の持ち方、走り方、表情の作り方。そういった細かいところで、常に進化し続けていたんじゃないでしょうか。

一番の端役だったはずの座布団運びが、今や笑点をささえるほどの存在になっている。
山田隆夫さんが引退したらと考えると、本当にそこは大きな笑点の節目になる気がするのは私だけ?もちろん円楽さんやほかの笑点メンバーみんなの応援があったからこそなのだろうけど、応援したくなる何かが山田隆夫さんにはあるんでしょうね。



山田隆夫の笑点での工夫は?

山田隆夫さんが「笑点」で40年近く座布団運びを続けてこられた背景には、意外な工夫や努力があったんです。

 

まず驚いたのが、山田隆夫さんの体力管理への取り組みです。
実はあの座布団、1枚が3kg以上もあるんですって!
山田隆夫さんは、この重い座布団を何度も運ぶ役目を果たすため、日頃からジムで筋トレに励んでいるんです。
ぎっくり腰を何度も経験しているそうで、その対策なんですね。
座布団運びって、見た目以上に体力勝負なんだなって思いました。

 

それから、安全面への配慮も忘れていません。
以前は回答者を突き飛ばすような荒い演出もあったそうですが、メンバーの高齢化や思わぬトラブルを考慮して、今では後ろから小突く程度に抑えているんだとか。
笑いを取りつつ、安全も確保する。そのバランス感覚がさすがだなって思います。

 

山田隆夫さんの工夫は、体力面だけじゃないんです。
前の章で紹介しましたが「座布団芸」として進化させた演出も、彼のアイデアの賜物です。
ただ運ぶだけじゃなく、ユーモアを交えた演出を心がけているんですね。
この座布団芸、もともとは5代目三遊亭円楽さんのアドバイスがきっかけだったんです。
先輩の言葉をしっかり受け止めて、自分のものにしていく。
そんな姿勢も、長年愛され続けている理由の一つかもしれません。

 

山田隆夫さんは、自分の役割をしっかり理解した上で、常に進化を続けているんですね。
体力づくりに励み、安全に配慮し、演出にも工夫を凝らす。
こういった地道な努力の積み重ねが、40年という長きにわたる活躍を支えているんだなって感じます。

「笑点」を見るたびに、山田隆夫さんのどんな工夫が見られるかな、って目を凝らしてしまいそうです。きっとまだまだ、私たちが気づいていない細かな工夫があるはず。これからも山田隆夫さんの「座布団芸」の進化から目が離せませんね。



山田隆夫と座布団運びのまとめ

あらためて山田隆夫さんの座布団運びの特徴をまとめてみましょう。

  • 1984年から40年近く続く驚異的な継続力
  • 単なる運搬係から番組の重要な一部へと昇華させた「座布団芸」
  • 3kg以上ある座布団を運ぶための体力管理と安全配慮
  • 5代目三遊亭円楽さんをはじめとするメンバーとの絆
  • 一時休演時に見られた、視聴者からの強い支持

山田隆夫さんの座布団運び、改めて振り返ってみると本当にすごいですね。
正直、私はこれまで「笑点」を見るたび、山田隆夫さんの存在を当たり前のように感じていました。
でも、今回いろいろ調べてみて、その裏側にある努力や工夫、そして周りの人たちとの絆を知って、山田隆夫さんのことをもっと好きになりました。
山田隆夫さんには、これからも日本の喜劇文化の宝として、できるだけ長く活躍し続けてほしいです。



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