豪ノ山の出身中学、高校、大学の学歴を紹介!力士情報も解説!

現役力士

25歳の若さで入幕したことで最近注目されている豪ノ山ですが、実は力士としては珍しく大学までアマチュアだったということをご存じでしょうか。

 

豪ノ山の強さの理由はその学歴にあるのでしょうか。

 

ということでこの記事では、豪ノ山の出身中学、高校、大学の学歴を紹介します。

併せて豪ノ山の力士情報も解説しますので、気になった方は是非最後まで見てください!

 

豪ノ山 出身中学

豪ノ山の出身中学は大阪府にある、寝屋川市立第九中学校です。

当時ここは相撲の強豪ではなく、相撲部も存在していませんでした。

 

部がないと大会に出られないことを校長に伝えると、校長は相撲部を創部し、自ら顧問となって豪ノ山のサポートをしました。

1人の生徒のために部を作ってサポートしてくれたというのは、周りの大人たちにとても恵まれたということですね。

この校長がいなければ、今の豪ノ山はいなかったかもしれません。

 

中学3年生の時に出場した全国中学校相撲選手権大会ではベスト8の成績を収めました。

 

その全中(全国中学校体育大会)に出場した際、その活躍が埼玉栄高校の監督の目に留まり、相撲の名門である埼玉栄高校にどうしても進学したい!と思うようになりました。



豪ノ山 出身高校

豪ノ山が進学した埼玉栄高校は相撲の強豪校です。

監督の山田道紀さんは昭和63年から埼玉栄高校の相撲部に赴任し、数多くの力士を輩出しています。

トレーナーの岡武聡さんも、JOC(日本オリンピック委員会)で医科学委員や強化スタッフアドバイザーとして活躍しているプロフェッショナルです。

 

卒業生には、武隈親方(豪栄道)や立田川親方(豊真将)、三保ヶ関親方(栃栄)、井筒親方(明瀬山)といった親方を輩出している歴史ある高校です。

 

現役の他の卒業生は、貴景勝や、大栄翔、琴ノ若、翔猿、北勝富士、王鵬、妙義龍、琴勝峰など、数多くの有名力士を今もなお輩出し続けています。

 

小学生の頃、大阪場所のたびに出入りさせてもらっていた境川部屋の武隈親(豪栄道)や、憧れだった紗義龍や貴景勝の出身校ということもあり、豪ノ山は熱心に相撲に取り組みました。

 

しかし高校一年の秋、国体に出場を果たしますが、その時に怪我を負っていしまいます。

そのリハビリを乗り越え、翌年の国体で復帰、3年次には主将として全国高校金沢大会で準優勝という結果を残します。

 

若いスポーツ選手にとって怪我はとても大きい影響を与えます。

豪ノ山は怪我を乗り越える強さをこの時既に持ち合わせていたのでしょうね。



豪ノ山 出身大学

豪ノ山は高卒で入門したがっていましたが、1年生の時に負った怪我の影響が心配されます。

 

当時の高校の先生の勧めから、豪ノ山は中央大学法学部法律学科に進学します。

大学の同期には栃武蔵(菅野)が在籍していて、卒業生には、大関の出島や関脇の豪風が有名です。

中央大学相撲部は最近角界でも結果を出し始めていて、大学相撲の強豪校と言っていいでしょう。

 

1年生の時に全国学生相撲選手権大会に出場し、ベスト32まで勝ち進みます。

主将を務めた4年生の時には、学生選手権で個人準優勝の成績を収めます。

 

全国大会準優勝は勿論すごいですが、高校、大学と続けて優勝まであと一歩というのが何だか悔しい気持ちになりますね。

 

大相撲ではアマチュアで結果を出した力士に対して地位を優遇する制度「付出」(つけだし)があります。

この制度を利用し、豪ノ山は三段目100枚目格の地位から本格的に力士としてのキャリアをスタートします。



豪ノ山 力士情報

出典:Wikipedia

ここからは豪ノ山のプロフィール、豪ノ山の中学以前のエピソード、そして入門後の成績を紹介します。

 

豪ノ山のプロフィール

本名は西川登輝(にしかわ とうき)です。

四股名は最初は西川でしたが、後に豪ノ山と改めます。

 

1998年4月7日大阪府寝屋川市の生まれで、2023年11月現在、身長178cm、体重は156kgです。

 

中学以前の豪ノ山

早生まれの豪ノ山は生まれた時から体が大きく、幼稚園年長の時に兄からもらったチラシをきっかけにわんぱく相撲 幼児の部に出場しました。

「お友だちを押したり叩いたりしたらダメよ」

と親は子供に言うものですが、豪ノ山もそのように親やまわりの大人から言われて育ちました。

特に体の大きかった豪ノ山は自分でも気をつけていたのかもしれません。

 

相撲では相手を押し出して勝ちますね。

「相手を押していい」ということが豪ノ山にとっては驚くべきことだったのです。

そして、小学1年生の時に、寝屋川相撲連盟で相撲を始めます。

 

小学校4年生から6年生にかけて、わんぱく相撲全国大会や全日本小学生相撲大会に出場します。

 

毎年3月に行われる大阪場所では、境川部屋が稽古場や宿舎を、豪ノ山の家の近所に構えていました。

豪ノ山は小学生の頃から、大阪場所が行われるたびに、ここによく顔をだしていましたので、自然と境川部屋の親方や力士たちと顔見知りになっていったのでしょうね。

土俵上で活躍する力士たちを間近で見ることができた豪ノ山は、多くのことを吸収したことでしょうう。その経験からも将来有望なこどもだったことが窺えます。

 

入門後の成績

大学卒業後は小学生の頃からお世話になっていた境川部屋に入門し、2021年3月場所に、22歳で初土俵を踏みます。

 

大学で同期だった菅野に勝ち、連勝を6まで伸ばします。

その後13日目に、三段目優勝決定戦への進出が決まる一番でしたが、反則を取られ、黒星となってしまいます。

 

既に強さを見せていた豪ノ山でしたが、この時ばかりは足元をすくわれた形になってしまいました。

 

続く5月場所は6勝1敗の好成績を収め、7月場所で幕下に昇進します。

 

実は付出の基準に、全国大会優勝者は幕下からスタートできるという優遇処置があります。

豪ノ山は準優勝だったので三枚目からのスタートでしたが、実力やこの活躍から見ると、優勝していてもおかしくありませんでしたね。

 

しかしこの後11月場所で、首の怪我により途中休場を余儀なくされます。

スポーツに怪我は付き物ですが、実力があるだけに、もどかしい気持ちになりますね。

 

復帰後の2022年1月場所は7戦全勝で幕下優勝を果たします。

2月に境川部屋の武隈が独立し、武隈部屋を立ち上げます。

それについていく形で豪ノ山も武隈部屋へ所属を移ります

 

5月場所は4勝3敗という結果で、場所後に行われた番付編成会議によって、7月場所で新十両昇進が決まります。

 

十両昇進に合わせ、豪ノ山は当時の四股名「西川」から「豪ノ山」に改めます。

 

2023年3月場所で11勝4敗の好成績を残した後、5月場所で優勝争いをしていた落合に見事勝利し、十両優勝を果たします。

 

学生の頃からあと一歩届かず準優勝というのが続いていた豪ノ山ですが、そのジンクスを跳ね除けて優勝したことは、感慨深いものがありますね。

 

そして新入幕した7月場所では10勝5敗の成績を収め、敢闘賞を受賞しました。

 

憧れの貴景勝との一戦

2023年大相撲九州場所7日目に高校時代の2年先輩だった貴景勝との一番がありました。

 

前回対戦した時に負けてしまっていた豪ノ山でしたが、この一番で見事白星を挙げました。

 

貴景勝は小学校の頃からの憧れの先輩だったという豪ノ山でしたが、勝利後のインタビューではこう答えています。

「そういうのは考えていない。自分の相撲を取れてよかった。」

引用:日刊スポーツより

 

憧れていた先輩と同じ土俵に立ち、勝つことが出来た豪ノ山は憧れを乗り越えて、さらなる高みを目指しています。



豪ノ山の出身中学、高校、大学、力士情報のまとめ

  • 中学は相撲部がない学校でしたが、校長と一緒に相撲部を創部して大会へ出場しました。
  • 高校は有名力士を多く輩出する名門 埼玉栄高校に進学しました。
  • 大学で優秀な成績を収め、三段目付出の資格を得ました。
  • 憧れの師匠や先輩、同期と切磋琢磨して、幕入り後も活躍を続けています。

 

大阪場所のたびに稽古場や宿舎が家の近所に構えられた、という環境で育ち、高校、大学と相撲を続けていた豪ノ山はその分たくさんの先輩や同期、そしてこれから出てくる後輩と対戦することになります。

これからの豪ノ山のさらなる活躍に期待が高まりますね。

 

子どものころから、相撲に親しんできた豪ノ山はどのような環境で育ったのでしょうか。
豪ノ山の母や父、兄弟についてはこちらでご紹介しています。

合わせてお読みくださいね。

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