相撲力士 遠藤関はイケメン力士として有名ですね。
遠藤関の出身地である石川県穴水町は、2024年1月1日に起きた能登半島地震で大きな被害を受けました。
TBSにて放送の「情熱大陸」では、能登半島地震から1ヶ月経った様子を伝えています。
遠藤関が育った穴水町とはどのようなところなのでしょうか。
また、穴水町で暮らす家族はどのような人たちなのでしょうか。
遠藤関のプロフィールとともにお伝えします。
どうぞ最後までお読みくださいね。
【相撲】遠藤の実家はどこ?
遠藤関の実家は、石川県鳳珠郡穴水町(いしかわけん ほうすぐん あなみずまち)です。
どのような場所なのか、遠藤関は次のように語っています。
実家から一歩出れば山が迫り、背後には海、耳を澄ませば波の音が聞こえます。僕は家の中で遊ぶような子どもではなかった。今日は海に行こうとか、今日は山だとか、友達と言い合って遊びました。海と山。「穴水」と言われて思い出す心の風景です。
(引用:東京新聞)
遠藤関の実家は、海が見えるほど、海に近くありました。
その海には、ボラ漁に使う「ボラ待ちやぐら」という、やぐらが立っていました。
遠藤関の化粧まわしには、この「ボラ待ちやぐら」の刺繍を施したものがあり、2024年1月場所では、故郷の人に思いを馳せ、また、故郷の人に元気を届けたくて、この化粧まわしをつけました。
遠藤関が今場所締めている化粧まわし。これについて本人は、多くを語らない。https://t.co/8JBnEJ8csS
— 佐々木一郎 (@Ichiro_SUMO) January 28, 2024
能登半島地震では、遠藤関の実家は無事だったものの、実家のすぐ近くまで津波は迫っていました。
遠藤関は、すぐにでも故郷に駆け付けたかったはずです。
しかし、混乱を極める現地のことを思ってすぐには行動できなかったのです。
【相撲】遠藤の家族や兄弟はどんな人?
遠藤関の家族にはどんな人がいるのでしょうか。
遠藤関とのエピソードとともに、順番にご紹介しましょう。
祖父
遠藤関には、2024年で83歳になる祖父がいます。
カキ漁の漁師をしていたおじいさんの作る佃煮が大好きだったという遠藤関。
ツライ稽古から逃げだしたときに、かくまってもらうのは祖父の家でした。
いやいや始めた相撲だったので、いつも逃げたい、と思っていたのかもしれません。
そんな時に優しく受け止めてくれるおじいさんがいたからこそ、好きじゃなかった相撲を続けることができたのですね。
父
名前は吉樹さんです。日立建機の協力会社に勤務しています。
小さいころから泣き虫ですぐにすねる子どもだったという遠藤関のことを心配して、礼儀や忍耐を身につけてほしいという理由から、遠藤関を相撲教室へいれました。
遠藤関はいやいやながらも相撲を続けていました。それは、父親に対する畏敬の念のようなものがあったと考えてもいいですね。
本当に嫌ならばやめたい!と言うこともできたかもしれません。
そうしなかったのは、もう少しだけお父さんの言うとおりにしてみよう、という気持ちがあったのではないかと私は推測します。
父の吉樹さんは、
と、遠藤関に対して、線引きをしています。
親子だから、となんでも聞く、なんでも話す、という間柄ではないのですね。
淋しいような気もしますが、なんでも分ちあうだけが家族でなく、お互いに尊敬しあえるような家族の形もあるのだと思います。
母
名前は玲子さんです。事務職の仕事をしながら、家族を支えています。
妹
名前は亜美さんです。遠藤関の3歳下です。
【相撲】遠藤のプロフィールをご紹介!
遠藤のプロフィールをご紹介します。
四股名 | 遠藤 |
本名 | 遠藤聖大(えんどう しょうた) |
出身地 | 石川県鳳珠郡穴水町(いしかわけん ほうすぐん あなみずまち) |
生年月日 | 1990年10月19日 |
身長 | 184㎝ |
体重 | 150kg |
出身高校 | 金沢学院東高校 |
出身大学 | 日本大学経済学部経済学科 |
所属部屋 | 追手風部屋(おいてかぜべや) |
最高位 | 西小結 |
小学生の頃から、相撲を始めた遠藤関ですが、大学も卒業しているのですね。
次に遠藤関の経歴をご紹介しましょう。
【相撲】遠藤の経歴は?
遠藤関は、相撲を始めた小学生時代は、相撲の稽古がいやでいやで仕方がなかった、といいます。
テレビで相撲中継が始まると、他の部屋に逃げるほど、相撲嫌いでした。
その遠藤関の運命を変えたのが、小学5年生の時に見た「朝青龍」でした。
朝青龍の相撲はエネルギーに溢れていて、闘志むき出しの相撲に、一瞬で魅了されてしまったのです。
そこでスイッチが入った遠藤関は、もともと運動神経がよかったのと、相撲勘がよかったのもあり、めきめきと上達していきました。
それでは、小学校時代から順番にご紹介しましょう。
小学校時代
・小学1年生の時に強制的に相撲を始める
・全国レベルの大会で結果を出す
中学校時代
・相撲を続けるために、親元を離れて監督の家に下宿しながら金沢市の中学へ
・中部日本選抜中学生相撲大会で個人優勝。団体戦でも優勝
・運動神経バツグンで、勉強熱心
・バスケットも上手だった
・握力は普通の生徒の3倍
高校時代
・高校相撲金沢大会優勝
・選抜高校相撲十和田大会優勝
大学時代
・1年次から団体戦レギュラー
・4年次団体戦主将
・全日本相撲選手権大会優勝(アマチュア横綱)
・国体相撲成年個人の部A優勝(国体横綱)
・幕下10枚目格付出の資格を取得
入門後
・初土俵から半年で幕内力士となるスピード出世
・初土俵から6場所で大関戦を経験。これは歴代2位タイの早い記録
・初土俵から7場所目で、大関と横綱に勝ったというのも、歴代2位の早い記録
このように、スピード出世をした遠藤関は、その実力とルックスのよさから、角界の人気者となっていきました。
バレンタインデーにはダンボールに5箱ぶんのチョコレートが届いた、という逸話もあるほどです。
そんな遠藤関も2023年には痛めていた膝の具合が芳しくなく、目立った成績を収められずにいます。幕内にとどまってはいるものの、負け越しが続いて心配な状況です。
遠藤関は故郷に思いを馳せて、
自分には土俵にあがり続けることしかできない
(引用:情熱大陸)
と言います。
膝の怪我は心配ですが、避難所のテレビで遠藤関を応援している故郷のために、遠藤関はきっと土俵の上で戦いつづけてくれると思います。
【相撲】遠藤の実家、家族や兄弟、プロフィールのまとめ
・【相撲】遠藤の実家は石川県鳳珠郡穴水町
・【相撲】遠藤の家族は祖父、父、母、妹
・【相撲】遠藤は日本大学出身
・【相撲】遠藤は大学時代に学生横綱になったことから、幕下10枚目からスタート
合わせてお読みくださいね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント