友風(ともかぜ)は、2023年に11月場所から再び入幕したことで、注目をされている力士です。
再度の入幕といっても、単に実力が落ちて番付が下がったわけではなく、相撲人生の危機といえる程のアクシデントを乗り越えての幕内への復帰でした。
もともとは怪我をする前は、初土俵から初入幕までが、わずか11場所。
歴代4位に並ぶスピード出世するほどの実力の持ち主だったのです。
そんな友風はピアノが得意で、趣味のレベルを超えて、プロのレベルであるとか…!?
力士であり、ピアノも得意だなんて、気になりますよね!
今回は、友風のピアノについて、また友風が怪我をした時のこと、友風の親方が部屋を新設した詳細について、まとめましたので、ご紹介します。
友風のピアノについて!引退後はピアニスト?
友風は、母親の影響で、物心がつく前から家にあったピアノを弾いていました。
ピアノを大好きになり、小学2年生の時に本格的に習い始めます。
友風は、中学3年生の時には合唱コンクールでピアノの伴奏者に抜擢されました。男の子で伴奏者とは、とても目立ったことでしょうね。
友風のピアノの能力は学校も認めていて、母校の小学校で運動会の曲を作詞したこともありました。
友風関 pic.twitter.com/9cbbJHA6dW
— 福来魚🐟(ふくらぎ) (@agemasuyoo) July 4, 2023
友風は、高校から相撲部に入りました。
相撲では指先に負荷がかかり、怪我のリスクがあるので、ピアノと相撲を両立していくことに友風は悩んでいました。
相撲という競技では怪我をする機会も増えますし、大好きなピアノが思うように弾けなくなるのは、心苦しいですよね… それは、私にも容易に想像することができます。
友風は、作曲までするほど、ピアノの実力は相当なものでした。それは、音楽の道を極める為に大学に行こうかと悩むほどでした。
一方で友風の相撲の実力もどんどん伸びていき、高校では全国大会で準優勝をするほど実力をつけていきました。
この決勝の相手は、のちの逸ノ城(いちのじょう)だったのです。
残念なことに、この時、友風は逸ノ城に負けてしまいました。
この準優勝が友風には相当悔しかったのですね。
このまま引き下がるのは嫌だ、と、大学に行ってさらに相撲を頑張ろうと決意!
友風は、この時、音楽の大学にすすむことを諦めました。
大好きなピアノの道を諦めることは、友風にとっては簡単な決断ではなかったのでは?と私は想像してしまいました。
ピアノよりも勝負の道を選んだことに、友風の情熱のようなものを私は感じます。
2020年4月の地方巡業のトークショーでは、
と友風は語っていました。
友風は、相撲に出会っていなければ、ピアノの道にいっていたのでしょうね。
引退後は、本当に友風が力士からピアニストに転身する姿を私は見てみたいです!
今でも、友風は、川崎の実家に帰った際は、必ずピアノを弾くようです。
演奏するのは、友風が大ファンのXJAPANの曲など。
友風が一番好きなアーティストは、YOSHIKIさんなんです。YOSHIKIさんは、ピアノが本当に上手で、詞も曲も作ってますよね。
YOSHIKIさんの曲は、聞く人を魅了する曲ばかりで、友風も、YOSHIKIさんの曲にたくさん癒され、勇気をもらってきたのではないか、と私は思います。
友風が将来ピアニストになったら、友風が作曲する曲を私は聞いてみたいです!
友風の怪我はいつ?復帰までの苦労や努力…障害者手帳を持ってるってホント?
友風は、2019年11月場所に、取組中に土俵の下に落ちて、右ひざを怪我します。
この場所は、友風が前頭3枚目の番付の時でした。それまで初土俵から約2年、友風は、ずっと成績を上げてきていたので、まさに絶頂期での出来事でした。
友風が最初に行った病院では、
と言われました。
ましてや相撲をとるなんて、絶対できないし、土俵に上がることも難しいから、まずは歩くことだけを考えていきましょうと、先生に言われ、友風は相当なショックを受けました。
まさにこれから、という時の出来事に、友風は動揺したのではないかと私は思います。
友風の足の状態は、骨、じん帯、筋肉などいくつもの怪我が重なり、右の膝下を切断するかもしれないような大怪我でした。
東京と大阪の3つの病院で、骨をボルトで固定する手術、じん帯の手術など、計4回の手術を受け、約5か月にも及ぶ入院をしました。
友風が病院に入院している間、実家の神奈川県から、母親が来て、付きっきりで看病をしてくれました。
友風は次のように話しています。
「母親の存在は何よりも大きかったです。体が不自由で不便なことも多かったので、とても心強かったです。母は偉大だなと思いました。」
(引用:NHK横浜放送局)
体も気持ちも辛い中で、お母さんの存在が心の支えだったのですね。
手術の後のリハビリは、とても辛いものでしたが、病院で出会った小さな子ども達の存在に友風は支えられました。
病気や怪我で入院している子どもたちも、リハビリ室にいて、中には足がない子もいましたが、底抜けに明るく、大きな体の友風に話しかけてきてくれました。
生れてから数年しか経っていないような小さな子供が、リハビリを頑張っている姿は、それだけで勇気がもらえますが、その子たちに優しく話しかけられたら、もう、頑張っちゃいますよね。
友風もその子どもたちにもう一度、相撲をとっている姿をみせたい!と強く思ったのですよね。
友風は、子どもの明るく健気な姿にどれほど励まされたことか。それは私には想像できないほどです。病院でよい出会いがあり、友風はなんとか気持ちを保つことができたのですね。
友風は、手術やリハビリで休場したので、幕内から序二段まで落ちました。しかし、なんと、怪我から半年で稽古に戻りました。
そして、2021年3月場所で1年4か月ぶりに土俵に復帰!
友風は2023年11月場所で幕内へも復帰します。
なんという精神力の持ち主なのでしょう!私は驚いてしまいました!
実は、友風は、復帰する一か月前の2021年2月に、障害者5級に認定されていたのです。
障害者手帳も交付されているのです。右足はほとんど使えない状態だといいます。
土俵上で踏ん張ることは難しい状況だと想像できます。
それでも、相撲を続けているのは、なぜだと思いますか?
ハンディキャップがあっても、工夫をしながら相撲をとることができる、ということを障がいのある子どもたちに伝えたい!という強い思いが、友風にはあるからなんですね。
友風のその思いが、多くの人に届くことを祈っています。
幕内の力士が序二段に落ちた後に、もう一度幕内力士になるのは、友風が相撲の歴史で3人目です。
照ノ富士(てるのふじ)、宇良(うら)の2人が、幕内力士からケガや病気で同じく序二段になった後に、幕内に帰ってきましたね。照ノ富士はなんと横綱になりましたよね。
2人とも、大きな困難を乗り越えての幕内力士として復活しました。このことが、どれだけ友風を勇気づけたのか計り知れません。
きっと大きな励みをもらい、友風自身もまた幕内に戻りたいと目標にしていたことでしょう。
歩けるかも分からないような怪我をしたのに、土俵に復帰したことは、友風の努力と、支えとなる沢山の人がいたからなのだと私は思いました。
友風の親方、部屋を新設ってほんと?
大怪我の際にも、友風を支えてきた兄弟子の元関脇・嘉風(よしかぜ)である中村親方が、2024年6月、墨田区に中村部屋(なかむらべや)を新設しました。
元関脇 嘉風の中村親方 pic.twitter.com/w3x04gK0Cd
— 福来魚🐟(ふくらぎ) (@agemasuyoo) September 20, 2023
中村部屋は、二所ノ関部屋(にしょのせきべや)からの独立という形で、友風、新十両の嘉陽(かよう)の他、8人の力士が所属する部屋になりました。
トレーニングルームが完成しました🏋️#中村部屋#トレーニングルーム#THINKフィットネス pic.twitter.com/nVMf1NJtEd
— 中村雅継/元 嘉風 (@Yoshikaze319) June 8, 2024
中村親方は、42歳(2024年6月現在)で、日本体育大学から、相撲界に入り、尾車部屋(おぐるまべや)に入門しました。
最高位は関脇で、身長177cmと小柄ながら、スピード感があり、技術の高い相撲が持ち味でしたね。中村親方は技能賞を4度、受賞しています。
殊勲賞は2回、敢闘賞は4回、さらに金星8個と、賞を沢山受賞しているのですね!
中村親方(嘉風)は、友風と同じ日体大の相撲部で、13歳上の先輩です。
友風が日体大で稽古をつけてもらっていたことがきっかけで、嘉風と同じ尾車部屋に入門をします。
友風は、中村親方(嘉風)のことをとても尊敬し、信頼しており、力士デビューをした後の場所中も、時には毎日のように電話をして相撲や気持ちのアドバイスをもらっていました。
「僕のことを一番分かっているのは、あの人。言う通りにしていたらここまで来た。付いて行けば間違いない。」
(引用:デイリー)
関係性は兄弟子ですが、兄弟のような、時には恋人と例えられるほどの信頼関係が友風と中村親方の間にはあります。友風が順調に番付を上げていった際も、中村親方(嘉風)の存在が大きかっただと私は思いました。
中村親方も現役中に、友風と同じような大怪我をした経験があります。
この怪我の影響もあり、2019年9月場所で中村親方は引退をしています。
引退後は、友風と同じく元横綱・稀勢の里(きせのさと)の二所ノ関部屋で、部屋付き親方として、相撲の指導をしてきました。
「部屋付き親方」とは、部屋の所有者である親方ではなく、そこに所属してコーチ役やスカウト役を手伝う存在です。
2024年5月場所で優勝した大の里にも、中村親方は指導をしていました。
二所ノ関部屋は、稀勢の里が親方を務める恵まれた環境でもあります。でも、友風は、大きな信頼を寄せる中村親方を追いかけて、新設された部屋の所属を決めたのですね。
そこに、友風と中村親方の厚い信頼関係を私は感じとりました。
沢山の経験をもつ兄弟子の中村親方が新設した部屋で、友風も心機一転!
さらなる活躍を私は期待しています!
友風のまとめ
・友風はピアノが得意で、力士引退後はピアニストになるかも?!
・友風は、2019年11月場所で右ひざに大怪我。
・友風は、4回の手術、5カ月の入院やリハビリを乗り越え、1年4カ月ぶりに土俵に復帰。
・友風は、2023年11月場所で幕内へ復帰。
・友風の兄弟子である中村親方が、2024年6月に中村部屋を新設し、友風ら力士8人が移籍。
友風の特技のピアノについて、怪我をした際のことや復帰についてと、兄弟子の中村親方の部屋の新設についてまとめました。
友風の相撲にかける気持ちの強さを感じ、私はますます応援したくなりました!
今後も一緒に応援しましょう。
人間的にも大変魅力的な友風ですが、結婚しているのか気になりますね。こちらで詳しくご紹介していますよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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