宇良の家族(父親、母親)は?高校と大学が知りたい!プロフィールは?経歴は?

幕内力士

ピンク色の廻しがトレードマークの宇良。

かわいい笑顔と多彩な技で人気の宇良ですが、実は波乱万丈の相撲人生なのです。

宇良を支え続けている家族(父親、母親、兄弟)はどのような人なのでしょうか。

今、大相撲界に、宇良は、なくてはならない存在ですが、宇良が相撲を始めたきっかけはなんだったのでしょうか。

宇良がうまれてから、相撲界に入るまでの軌跡を追いました。

宇良の人生を一緒に辿ったら、今よりもっと宇良のことが好きになるはずです。

宇良の家族は?父親、母親、兄弟は?

宇良の家族は、父親、母親、姉の4人家族です。

それぞれご紹介しますね。

宇良の父親は?

宇良の父親、辰美さんは沖縄県国頭村(くにがみそん)宜名真区(ぎなまく)の出身。

国頭村には祖父の繁さんと祖母の幸子さんが住んでいて、宇良が入門したての頃は、親戚が集まって宇良の活躍を応援していたのですよ。

出典:琉球新報社

序ノ口優勝をした時は、泡盛の記念ボトルも売り出されるほど、地元の人たちにとって、宇良の活躍注目されていたのですね。

国頭村宜名真区は沖縄本島の最北部に位置していますので、応援に行くのも簡単ではないと思いますが、テレビの前での応援も、きっと宇良には届いていますね。

宇良の母親は?

宇良の母親は、岩崎信子さんです。

宇良の両親は離婚していて、宇良は母親のもとで育ちました。

父親は沖縄に住んでいますが、宇良の出身が「大阪府」なのは、そのためですね。

女手ひとつで育ててくれた母親は優しくも厳しい人だったのです。

「しんどい」「疲れた」を家の中で使うことは禁じられていて、
「自分で決めたことは必ずやる」
が家訓でした。

やると決めていた「すり足」を昼間の時間にこなすことができなかった宇良は、夜中に起きだして目標回数をやり切ったというエピソードもあるのです。

宇良の兄弟は?

宇良には、2歳上に姉がいます。
名前は、美鈴さん。

 

宇良が相撲を始めることになったきっかけが、実はお姉さんでした。
子供のころ、お姉さんは宇良よりも体が大きく、わんぱく相撲に参加したことがありました。
その時に一緒にいた宇良も飛び入りで参加。
これが宇良にとって、相撲初体験でした。

 

「この時の体験が楽しくて、相撲を始めたくなった。」

 

ということではなく。
このわんぱく相撲の際に忘れた上着を取りに道場に行った時に、相撲を習いにきた子供と勘違いされて、気がついたら廻しをしめていた、というのが相撲を始めたきっかけだったのです。

きっと、内気な性格の宇良少年は、「違います」と言えなかったのですね。

 

お姉さんがわんぱく相撲に出場していなければ、宇良は相撲をすることはなかったのかもしれない、と思うと、縁とは不思議なものですよね。


宇良のプロフィールは?

宇良のプロフィールをご紹介します。

出典:中日新聞Web

本名 宇良和輝(うら かずき)
生年月日 1992年6月22日
年齢 31歳(2024年3月現在)
出身地 大阪府寝屋川市
身長 175㎝
体重 146kg
所属部屋 木瀬部屋
初土俵 2015年3月場所
入幕 2017年3月場所
最高位 西小結

 

4020gで生まれた宇良は、赤ちゃんとしては大きいですね。
わずか生後六か月で立って歩いた、というエピソードから、子供の頃から、並外れた体格と身体能力があったのでは、と想像してしまいますが、実際にはそうではありません。

 

宇良は4歳の時から相撲を始めましたが、体は小さく、相撲ではなかなか勝てなかったのです。

相撲と並行して、小学3年生からはレスリングも始めました。
レスリングは、体重別の階級があり、体の小さな宇良でも勝負できる仕組みでした。
実際に、レスリングでは全国大会で2位になったこともありました。

それでも、レスリングではなく、相撲の道に進むのは、高校の恩師との出会いがきっかけだったのです。


宇良の高校はどこ?大学は?

宇良は、京都府立鳥羽高等学校から関西学院大学へ進学しました。

 

中学時代、レスリングで全国大会に出場した経験のある宇良でしたが、レスリングで高校の推薦は取れなかったのです。

そんな時に、声をかけてきたのが、京都府立鳥羽高等学校の相撲部の顧問でした。

 

「もう一回相撲をやってみないか」

と顧問が、宇良を誘った理由は、宇良が小学生の時にさかのぼります。

 

鳥羽高校で開催された子ども大会で、自分より体の大きな子を一生懸命に押す姿と、大きな声で挨拶する姿が目に焼き付いていた、と。

 

中学3年生の時の宇良は、身長150㎝ 体重50kg という、相撲をするにはとても小柄な体格だったので、声をかけられた宇良自身が驚いてしまいました。

 

高校時代の宇良は、体も小さく、相撲も弱かったので、練習相手は、小中学生でした。
小学生に負けたこともあったという宇良。
もし私がその頃の宇良を知っていたら、将来、大相撲で活躍するとは想像もできなかったと思います。

 

高校卒業後に就職することを考えていた宇良でしたが、スポーツ推薦で、関西学院大学教育学部に進学できることになりました。

高校時代、小学生と稽古する姿をみた相撲部の顧問が教育学部への進学を進めてくれたのですが、顧問の先生は、教師としての宇良の適性と、大学4年間で宇良が力士としての花を咲かせることができるか、その可能性をみていたように思えます。

 

宇良は大学進学後、大学2年生までは、学業を優先していたので、体重はみるみる落ちて、入学時に85kgあった体重は7月には65kgにまで落ちてしまいました。

1年次には、全国学生相撲個人体重別選手権65キロ未満級で優勝しましたが、2年次には、65キロ未満級の大会で、相撲経験3か月の相手に負けてしまいます。

この出来事が宇良にとっては、とてもショックで20歳の時に、本格的に肉体改造に取り組むきっかけとなりました。

 

その甲斐があり、

・4年次には、無差別級で3位に入賞
・2013年にロシアで開催された第二回ワールドコンバットゲームズ相撲軽量級では世界一

になることができました。

 

相撲で、ようやく力が発揮できるようになってきたのですね。

 

宇良は大学では、小学校と幼稚園の教員免許を取得しましたが、教職につくことはなく、卒業後は角界入りしました。


宇良の経歴は?

宇良は、初土俵からわずか12場所(2年)で入幕を果たしました。これは、史上7位タイという記録なんです。すごいですね。

 

宇良は「2年で関取になる」と公言していたので、有言実行ですね。

 

2017年

9月場所。西前頭4枚目
右膝前十字靭帯損傷と左膝半月板損傷のため三日目から休場
2018年7月場所まで

2018年

9月場所。三段目91枚目で復帰

2019年

1月場所。西幕下23枚目

右膝前十字靭帯断裂で11日目から休場

2019年

11月場所。西序二段106枚目で土俵に復帰

2020年

1月場所。序二段優勝

3月場所。三段目優勝

11月場所。十両に復帰

2021年

5月場所。十両優勝

7月場所。幕内復帰

2024年

1月場所。西小結

 

大きな怪我を二回も乗りこえ、序二段から幕内まで復活した宇良。

子供の頃から体が小さくなかなか勝つことができなかった宇良は、負けても負けても、立ち上がり自分より大きな相手に挑んできました。

なんども跳ね返され、心が折れかけたことは何度もあるはずです。

でも、そのたびに、立ち上がり、立ち向かってきた宇良。

いつも応援してくれる家族やファンの存在はきっと大きいのですね。

 

宇良は相撲をする時の心構えについて

体格を理由に諦めたくない。4歳からずっと相撲をしていて、僕にはこの道しかありませんから。今の僕にできるのは、持てる力を最大限発揮して、少しでも多く白星をあげることだけです。

(引用:関西学院後援会)

このように答えています。

ここから、宇良の覚悟が見て取れます。
怪我への恐怖と戦いながら、自分が今できることを最大限に行う。

「取組では今の自分の100%を出し切る」
という宇良の言葉からも、目の前の一番一番に集中し、その先のことは考えていない、ということがわかります。
これからも怪我をすることなく、私たちファンを楽しませてくれたら嬉しいですね。



宇良の家族、プロフィール、学歴、経歴のまとめ

・宇良の家族は、父親、母親、姉の4人家族

・宇良は大阪府出身

・宇良の出身高校は、京都府立鳥羽高等学校

・宇良の出身大学は、関西学院大学

・宇良は二度の大怪我を経験

・宇良は、入幕後、序二段に陥落し、再入幕した

 

最後までお読みいただきありがとうございました。



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