【与謝蕪村の俳句代表作】春夏秋冬おすすめ8選!無名の生涯とは

短歌・俳句

俳句で有名な与謝蕪村。
「名前は聞いたことあるけど、どんな人かよくわからない…」

そんな方のために、この記事では春夏秋冬で有名な8句与謝蕪村の生涯を解説します。

 

 

【与謝蕪村の俳句代表作】春の句 2選

 

春の海 終日のたり のたりかな

季語:

読み方:はるのうみ ひねもすのたり のたりかな

意味:春の海は、波が一日中ゆったりと流れている。

感想:まずは与謝蕪村と言えばおなじみの句。7、5で、のたりのたりを区切っている所が、春の海を本当に長い時間見ていたのだろうなと感じることが出来ます。

 

しら梅に 明る夜ばかりと なりにけり

季語:白梅(初春)

読み方:しらうめに あくるよばかりと なりにけり

意味:白い梅が夜明けと共に明るくなる季節になった。

感想:夜明けの梅、寒さが残りつつも、春の訪れを感じます。これが辞世の句だと思うと、色々考えさせられますね。



【与謝蕪村の俳句代表作】夏の句 2選

 

夏河を越すうれしさよ手に草履

季語:夏河

読み方:なつかわを こすうれしさよ てにぞうり

意味:草履を脱ぎ、裸足で夏の川に入ることに嬉しさを感じている。

感想:最後に草履を持ってきていて、素人には計り知れない俳句の技術力のようなものを感じています。

 

五月雨や大河を前に家二軒

季語:五月雨

読み方:さみだれや たいがをまえに いえにけん

意味:雨で大河のようになった川の目の前で、家が2軒立っている。

感想:当時の建築技術だと、”五月雨”程度でも壊れてしまうのだろうか。そして大河と形容した氾濫しかけの川を”五月雨”と表現する蕪村。この2軒の無事を祈ります。

 

【与謝蕪村の俳句代表作】秋の句 2選

 

柳散り清水涸れ石処々

季語:柳散り

読み方:やなぎちり しみずかれいし ところどころ

意味:西行が詠んだ句を元に柳と清水を見に行ったが、柳は散り、清水も涸れ、石が所々に転がっている。

感想:時代の変化を詠んだ句。松尾芭蕉を尊敬していた蕪村は行脚で同じ景色を見れたのでしょうか。

 

鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな

季語:野分(台風の風)

読み方:とばどのへ ごろっきいそぐ のわけかな

意味:鳥羽上皇の元へ急ぐ騎馬が台風の風のようだ。

感想:保元の乱から着想を得たであろう句。歴史の教科書に出てくるような人がさらに昔の歴史について詠んでいるのが、さらに時代を超えて今、私たちに届いています。



【与謝蕪村の俳句代表作】冬の句 2選

 

寒月や門なき寺の天高し

季語:寒月

読み方:かんづきや もんなきてらの てんたかし

意味:寒く澄んだ夜空に月が浮かんでいて、門のない小さな寺から見ると、それが高く見える。

感想:夜空に高く浮かぶ月とその下に寺があるという描写のみ。とてもシンプルで、視覚的に絵画を究めた蕪村の真骨頂のように感じます。

 

御火焚や霜うつくしき京の町

季語:御火焚き

読み方:おほたきや しもうつくしき きょうのまち

意味:霜が降りた京都で御火焚が行われている。

感想:火と霜の対比を京の町という大きなスケールで詠んだ句。絵画で描くならどう描くか、蕪村に聞いてみたいと思いました。

 

与謝蕪村の生涯 プロフィールとエピソード解説

 

与謝蕪村(呉春作)      (出典:wikipedia)

本名を谷口信章(たにぐちのぶあき)と言い、江戸時代中期の俳人であり、画家としても活動しました。

そんな与謝蕪村の生涯を解説していきます。

 

誕生

 

摂津国(現:大阪府)の生まれ。出生について、京都の与謝野町にある「谷口げん」という女性が大阪に奉公をしに行った時に主人との間に生まれたという伝承が残っています。

 

若年期のエピソード

 

20歳で江戸に下り、松尾芭蕉の孫弟子にあたる早野巴人(はやの はじん)に弟子入りし、俳句を学びます。絵画に至っては独学で技を磨いていきます。

 

27歳で下総国(現:茨城県)に行き、砂岡雁宕(いさおか がんとう)のところに身を寄せました。

ここから尊敬する芭蕉の旅路を辿って東北で行脚生活を始めます。

 

才能開花、文人となる

 

なんとこの行脚生活は10年も続き、芭蕉の行脚が半年だった事と比べると途方もない時間を俳句と絵画の研鑽に注ぎます。

 

蕪村は当時の江戸俳諧を「独創性を失った」「低俗だ」と批判し、蕉風回帰(しょうふうかいき)を提唱します。それだけ松尾芭蕉を尊敬していたということがわかりますね。

 

さらに、絵画用語であった離俗論を俳諧に転用し、この時代(天明調)の俳諧を確立させます。

中国では様々な芸術分野を究めた人という意味で文人(ぶんじん)という言葉が使われます。与謝蕪村は特に絵画において文人画家と呼ばれるまでに技術を磨いていきます。

 

こうして俳句や絵画で培った経験を融合させ、蕪村は国宝や重要文化財も生み出すことになります。

しかし、当時は江戸が文化の中心ということもあり、批判した蕪村に正当な評価はされません

 

後世で正岡子規や萩原朔太郎などにより再評価され、現在に至ります。

 

世間から評価されなくとも俳句や絵画に向き合い続けたからこそ、今の評価があります。

このことは今を生きる私たちも例外ではないかもしれませんね。

 

壮年期

 

40代で結婚、娘を授かり、居を京都に移します。

この頃から自身を与謝と名乗り始めます。

 

それまでは俳句と絵画でたくさんの号を使っていた蕪村ですが、家族が出来て地元に帰ったことで、何か心境に変化があったのかもしれませんね。

 

51歳の時、家族を置いて1人で讃岐へ修行に出ます。

そこで多くの作品を手掛け、その後は京都に戻って生涯を過ごします。

その後、54歳でかつて師事していた早野巴人の号「夜半亭」を継ぎます。

 

そして68歳で心筋梗塞によりその生涯を閉じます。

辞世の句は「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」です。



まとめ

 

いかがでしたでしょうか。古臭くてあまり馴染みのないイメージでしたが、調べてみるとシンプルで芸術的な美しさを17文字で表す天才なのだとわかりました。でも俳句と絵画両方究めるのは、さすがに天才過ぎるかもしれませんね。

 

 

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