馬場あき子「鯨の世紀」を詠む!夫と人生にささげた短歌の魅力とは?

短歌・俳句

こんにちは。日本の文化調査隊の美緒です。

ご訪問ありがとうございます!

今回は、歌人の馬場あき子さんをご紹介します。

2022年現在94歳でありながら、精力的に活動を続けておられる馬場あき子さんの人生と作品についてご紹介します。

まずはこちらの話題からどうぞ!

馬場あき子の代表作「鯨の世紀」とはどんな歌?

馬場あき子さんの中学校の教科書にも載っている代表作をご紹介します。

「鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白」

古代鯨の生きた時代があった。恐竜の生きた時代があった。そのどちらにも戻れない。地球には白い水仙が咲いている。

短歌を作ることを「詠む」といい、作られた短歌をよみ、そこに書かれていることに思いをはせることを「読む」と言います。

読む人の数だけ解釈が数がある、とはいいませんが、しかし、何通りかの解釈があります。

それが短歌をより興味深いものにしていると私は思います。

さて、この歌について、「地球の水仙の白」という部分の解釈がさまざまあります。

水仙という花の性質に迫ったもの、水仙を人間に例えたもの、などなど。

短歌の基本として、作者本人の目線というものがあります。作者はその作品の中にいて、それを体験しているという視点です。つまり、「ノンフィクション」ということですね。

これが、短歌をより興味深いものにしているもうひとつの点だと私は考えています。

そこから考えると、この「地球の水仙の白」というのは、作者が、今、庭に咲いている(地球に根をおろしている)白い水仙を見ながら、鯨や恐竜が生きていた時代に思いを寄せるとともに、私は今、生きている、ことを表現していると思います。

小さな花、大きな鯨と恐竜、という対比もこの歌の奥行をぐぐっと広げているように思います。



馬場あき子の夫はどんな人?どんな結婚生活を送った?

馬場あき子さんのご主人についてご紹介しましょう。

お名前は岩田正(いわた ただし) 歌人

早稲田大学文学部国文科卒で、在学中に早稲田大学短歌会に入会しました。

大学卒業後は、都立高校の教諭となり定年まで勤めました。

1978年には馬場あき子さんと歌誌「かりん」を創刊し、カルチャーセンターや通信講座などで短歌の指導にあたりました。

1974年に「短歌」愛読者賞を受賞した後しばらくは作歌から離れ短歌評論に専念していましたが、1987年作歌を再開しました。

その後、日本歌人クラブ賞、迢空賞、現代短歌大賞を受賞します。

2017年93歳で亡くなりました。

 

岩田さんは学生時代に短歌に出会い、仲間と「まひる野」を創刊します。

しかし、歌集などをつくることはありませんでした。

歌人はある程度の数の歌を作ると歌集を自費で出版することが多いと聞きますが、岩田さんはそのような道は選ばなかったのですね。

歌を詠む人、歌を読む人。

歌人には二通りの生き方があることを私は岩田さんを通じて知りました。

同じ「まひる野」だった馬場あき子さんと岩田正さん。

結婚してもずっと「岩田くん」「馬場くん」と呼び合っていたなんて、とても仲のいいご夫婦だったのですね。

川崎のご自宅でたくさんの本に囲まれて、短歌の話などされていたことを想像すると、その豊かさが長寿の秘訣ではないか、と思えてしまうほどです。

ここで、岩田正さんが妻である馬場あき子さんを歌ったものを二首ご紹介します。

「イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年」

「この曲のここ美しと言ひしわれに眼を閉ぢしまま君はうなづく」

音楽が大好きだった岩田正さん。

傍らにはいつも大好きな音楽と大好きな奥さまがいたのですね。



馬場あき子の人生、その生い立ちや経歴に迫ります!

それではここで、改めて馬場あき子さんのプロフィールをご紹介しましょう。

ペンネーム:馬場あき子(ばば あきこ)

本名:岩田暁子(いわた あきこ)

生年月日:1928年1月28日

出身地:東京

最終学歴:日本女子専門学校(現 昭和女子大学)国文科卒

経歴:

1947年 「まひる野」入会

1948年 中学校および高校の教師になる

1952年 岩田正氏と結婚

1977年 29年間の教員生活を終える

1978年 夫で歌人の岩田正と「かりん」創刊

1994年 紫綬褒章受章

2019年 文化功労者

2021年 旭日中綬章受章

(引用:Wikipedia)

30近い歌集を編み、現代短歌女流賞や迢空賞、斎藤茂吉短歌文学賞などを受賞。

2021年「馬場あき子全歌集」を出版、これまでに詠んだ約一万首が収められています。

 

戦前生まれの馬場あき子さんはどのような人生を歩んできたのでしょうか。

戦争中、小学生だった馬場さんは紙の切れ端などに歌を書き綴るも空襲ですべて焼けてしまったそうですが、のちにその頃の歌を何十首も正確に思い出すことができ、全集にいれました。

結婚して12年が経った頃には、突然家を出てしまいます。

夫と義父母と幸せに暮らしていましたが、教師であり歌人であった馬場さんは、もっと勉強したい!もっと書きたい!そのためには時間と場所が必要だ!という思いがあり、その思いを抑えきれなくなってしまったのです。夫を置いたまま、突然家を飛び出した馬場さん。

それでも、離婚されることはなく、しばらくして、夫が馬場さん宅に来るようになり、やがてふたりで住むようになっていきました。

この時代の女性にしては、いや、今の時代の女性としても、とても行動的で驚いてしまいます。

やりたいと思ったことはやらずにはいられない性格だったのでしょうね。

その根底にあるのは、「豊かな感情」です。

自分自身に対しても、他者に対しても。

実際、教員時代には、生徒たちにたくさんの愛情を注ぎ、ゆたかな関係を築いています。

だからこそ、80歳を過ぎた教え子たちとのクラス会がいまだに催されるのですね。



馬場あき子が語る短歌の魅力とは?

小学生の頃に出会った短歌。

その付き合いは80年を超えています。

馬場さんがおもう短歌の魅力とはどのようなものなのでしょうか。雑誌のインタビューで次のように語っています。

韻律に言葉がのった時、面白さが表れてきます。日本文化は五七五七七のような『型』を大切にしてきました。俳句も型なら、お能や歌舞伎も型。お花もお茶も型、相撲や柔道だってそう。(引用元:サライ)

型は砥石で、自分の中にあるその砥石で言葉や自分自身を磨く、型をどう生かしたかが大切と話しています。

「型」というのは一見堅苦しく、画一的のような印象を受けますが、必ずしもそうではないですね。

馬場さんも語っている通り、型を通してどのように己を表現していくのか、どのように人生をあらわすのか、が大事ということですね。

馬場さんは、いい歌の特長として、その人の骨格や思想、経験がでているもの、と言っています。

最近、注目されているのは60代の人の歌とのこと。

作者の経験がのった歌には実感がこもっていて、それは、その作者のみならず読み手の経験とも重なって後世までのこる歌となっていきます。

自分の中にある感情を濃密表現できる言葉を探すのが、短歌の魅力だとも語る馬場さん。

「濃密表現」のためにいくつもいくつも言葉を探って、これだ!という言葉に出会う喜び。

生きている限り、歌は歌えますね。

私もそんな歌人になりたいです。



馬場あき子「鯨の世紀」を詠む。夫と人生にささげた短歌の魅力についてのまとめ

今回は、歌人の馬場あき子さんをご紹介しました。いかがでしたか。

馬場さんは、言葉を愛し、そして、とても大切にされていますね。

言葉への尊敬の念が、歌人であり、能作家である、馬場あき子さんを支えているのですね。

そう。馬場さんは能作家でもあるのですが、そのお話はまたの機会にとっておきます。

 

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こちらの記事では栗木京子さんをご紹介しています。

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異色の経歴を持つ栗木京子さんの生き方からは、今を生きる私たちも希望の欠片を見つけることができそうです。

 

 

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京都大学文学部出身の大森静佳さんは、ご主人も歌を詠まれます。

馬場あき子さん夫婦同様、そのスタイルは別々のようです。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

それでは、またお会いしましょう!



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